「学業に貴賤なし」や「学歴に貴賤なし」も今後誰かが流行らせれば流行しないとは限りません。「いまのところ流行らせる人がいなかったからまだ流行っていない」あたりが割と妥当な答えだと思います。ただし時代の雰囲気としては無条件に学業や学歴を否定することがもてはやされる時代はすでにドラマ女王の教室が流行る前に終わっていた感がありますが。 ちなみに「職業に貴賤なし」は江戸時代の思想家・石田梅岩(いしだばいがん)が1739年に出版された「都鄙問答(とひもんどう)」という本で最初に使った言葉です。もともとは「商業と農業や工業の間に貴賤の差はない」という意味の言葉でした。 江戸時代には「農業や工業はモノを生産する貴い職業だけど、商業は他人が生産したモノを安く仕入れて高く売るだけの賤しい職業だ」という考え方が根強くありました。現代の企業でめちゃくちゃ乱暴に例えると「山崎製パンや雪印メグミルクはパンや牛乳を作ってるから偉いけど、イオンやセブンアンドアイホールディングスは他人が生産したモノを安く仕入れて高く売ってるだけだから要するに転売ヤーと同じだろ、転売ヤーうっざ」という考え方です。 これに対して石田梅岩は言ったわけです。「違う」と。 「農業や工業にモノを生産するという社会的使命があるのと同じように、商業にもまた、世の中に円滑にモノを流通させるという社会的使命がある。だからこそ商業に従事する者は私利私欲に走って暴利を貪ってはならず、高い商道徳を持って社会に貢献しないといけないのだ。農業や工業と商業の間に世間で言われるような貴賤の差はない。すなわち、職業に貴賤なし」と。 ここまであれば、この意味ならば、「まあ、そうだな」と腑に落ちるんじゃないでじょうか。 ところが、この言葉が近代になって身分差別や職業差別をしてはならないという価値観と結びついて無制限に拡大解釈され「あらゆる職業に貴賤の差を認めてはならない」という規範として語られるようになりました。風俗店勤務もパチンコ店勤務もトイチの高利貸しも医者も弁護士も貴賤なし。で、怪訝に思う人が出てくるわけです。ホンマかと。嘘だろと。タテマエだろ、綺麗事だろ、心の底からそう思ってるのかと。 「この言葉は本当でしょうか」という問いは「この言葉は、古今東西、いつの時代でもどこの国でも通用する普遍的な真理でしょうか」という問いに置き換えてみればその価値観のおよその通用範囲は想像できるはずです。江戸時代中期に日本で生まれて近代以降に無制限に拡大解釈されたこの言葉は、日本という限られた地域の、近現代という限られた時代のなかで通用する価値観に過ぎません。 当然のことながら「職業に貴賤なし」ということわざは米国や欧州にはありません。近代西洋社会に「人間は平等である(べきだ)」という考え方はあっても「あらゆる職業の貴さは同じである(べきだ)」などという考え方が日本で語られるほど社会に共有されているわけではありません。 昨今、ハワイに観光目的で渡航した日本人女性が入国審査で長時間拘束された挙げ句に入国拒否され強制帰国させられる事案が増えています。職業売春婦の出稼ぎ売春と誤解されるのが原因です。実際に海外出稼ぎ売春を組織的に斡旋する業者が存在し、そこを通して「旅行のついでにアルバイト」をしてしまう日本人女性の増加が背景にあるとも言われています。 当たり前ですが、仮に日本人女性が米国に出稼ぎ売春に行って入国審査で拘束されたとして、入国審査官に向かって「職業に貴賤はありません。男性からお金を受け取っておちんちんをなめる仕事と米国大統領の仕事に貴賤の違いはありません」と主張しても入国審査で理解してもらうのは困難です。なぜなら、そもそもそういう価値観や建て前が他国には無いからです。 あと、これはよく混同して語られるのですが、職業の貴賤と収入の高低は別の問題です。貴賤とは「貴い・賤しい」のことであり、収入が「高い・低い」とは別の問題です。このふたつを同じものとみなしてしまうと「貴いけど低収入」「賤しいけど高収入」という職業が存在する可能性について議論することが出来なくなります。
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