日本大学法学部政治経済学科卒業で、いすゞ自動車に入社しましたが、高校時代は美術部の部長を務めて、日本大学芸術学部を希望していましたが、親父の反対で法学部になりました。 なにしろ遊ぶことばかり考えていて、勉強はせず、成績も最低でした。 見かねた親父は、自分がいすゞ自動車の有力販売店の役員だった事から、私をいすゞ自動車に入れて、いすゞ自動車の役員達に、いい加減な小生の管理監督をお願いしたのであります。 何しろ働く気持ちなんて全く無いのですが、最初はコピー焼きやファイリングなどの作業でしたが、それはちゃんとやってはいました。入社して最初の1.5年間は、セールスマン研修と言う名目で、全国の販売店へ行かされて、セールスマンをやらされました。ノルマの様な目標はありましたが、それの評価は、後々配属先に影響しませんでした。 いすゞ自動車本社に戻され、またまた大型車販売本部の営業販売部に配属となりました。 東京を除く関東圏のいすゞ自動車販売店が私の担当でした。 関東5県の販売店とその支店などを回って、トラックを売り込む!…と言うのが、当たり前なのですが、仕事は全く逆で、私がある県の販売店本社へ行けば、豪勢な昼食!夜は宴会!中には芸者を呼んでの宴会まで開いてくれる販売店もあり、帰りには持ちきれないお土産を頂いたりしていました。 これは、売れるトラックを他店より優先的に回して欲しいと言う販売店さん達の理由です。 10年ほどの後、写真の部門に異動となりましたが、販売本部の営業だった頃が、何と楽しかったことか!写真の役職の後、いすゞ自動車の経営が傾き、私の同期38人が全員リストラになりましたが、私は佐川グローバルロジスティクス(佐川急便の子会社)から、ヘッドハンティングされて顧問として採用されました。 いすゞ自動車で長らくやって来た、国際物流のノウハウと人脈が私の価値だったようです。
個人事業で芸術家やってます。
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