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業界ごとの捉え方 私、書道という分野で活躍したいと考えています。しかし、「書道」という道は2つあると思っていて、1つは日展や毎日展、読売展などいわゆる中央展と呼ばれる展覧会での賞の受賞を目的として活動するいわば本筋書道。 もう一つは、TVやメディアに出て活動する、原愛梨、武田双雲、紫舟などの具体名の挙がる一般受け書道。 私はどちらかといえば後者の人達に憧れてあんな字を書きたいと思い書道に入門したのですが、入る前からもちょちちょい、入ってからはガッツリ、前者から後者に対してのバッシングを耳にします。 あんなに下手なのに恥ずかしくないのか、同じ書道を名乗らないでほしい、などとキツイ言葉の羅列です。 でも、前者の中央展に出す本格書道の方に思うことは、偉そうなこと言う割に裏では会派の格や人数で競ってて、その内部ではお金のやり取りがあって、作品の良し悪しではなく、そういった裏の取引で名前で受賞者が決まっているような不正な世界。 確かに、上手さの点で言えば不正で決まると言えど、みんな上手いのは前提なのかも知れない。 でも、受賞者を決める審査員次第で大きく左右され、その弟子は有利、その書風に書ける会派の人は有利とか、全時代的で廃れるなとは素人ながら思います。 そこで疑問なのは、では何故下手だと断言するエンタメ書道家を野放しにする、言い換えれば、本格派がちゃんと仕切らないのでしょうか? 一般受け狙うのってそんなに悪いことなのでしょうか? というより、一般の評価を受けないから不正が蔓延って、分かる者だけによる内うちの閉じこもった閉鎖的な業界になるのではと思っています。 また、このようなことを他の業界に例えることはできますか? 例えば、クラシック音楽とポップスのような関係とはまた違うのでしょうか? クラシック音楽をされる方は普段ポップスは聴かず、「あんなくだらないものは音楽ではない」とか言ってるものなんでしょうか? イメージはないのでそんなことはないと思うんですが、逆にだとしたらエンタメ書道は音楽でいうポップスのような位置にはなれないのでしょうか? 弟子からの多額の献金(入選させたお礼金)で生きながらえてる不健全な業界より、一般に評価されて適正なお金で回る業界の方が良いのではと思うのですがいかがでしょう? 「誰にでも分かる」、「一般受け」と言う響きを避けたくなる気持ちは分かりますし、分かる者にしか分からない高尚な分野、としたい気持ちも分かるけど、廃れが加速してる中でそんなこと言ってられなくない?という気持ちです。 ご教示ください。
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ご指摘の前者は書道、後者は習字の世界だと思われます。 習字とは読んで字の如し、字を習うことです。 正しい筆順でお手本通りに書くことで、バランスよく綺麗に整った字が書けるようになることを目的としています。硬筆も含まれますが、美しい字を書くこと、文字を学ぶことを目的とします。 それに対して書道とは、筆と紙を通して自己表現することを目的とする芸術です。 ただ字を書くのではなく、字に思いや感情を込めて書きます。書道で学ぶことは筆順や筆の持ち方といった基本的なことに加えて、自分の個性が出た作品を書くための技術を身に着けます。まさに、書の道ともいえるべきものです。文字の美しさを自分の個性を使って表現します。 つまり、習字の「美しい」は普遍的なものである一方で、書道の「美しさ」は十人十色、人それぞれです。極端に言うと、習字では単純に上手い下手が重視され、書道では芸術性が重視されます。だからいろいろな流派が存在するのです。そのようなことから「裏の取引」が生じかねないのですが、質問者様の捉え方は一面的のように思われます。 語弊がありますが、書道は習字を超越した、一段上の世界だともいえるのです。このように書道と習字は別物なので、書道が習字を仕切るという概念はあり得ないのです。
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