解決済み
心の整理がつきません。競走馬生産牧場の従業員です。 3月1日にある馬が出産をしましたが子供が先天性の病気で安楽死となりました。その馬は去年子供を流産させ健康に生まれてくることはありませんでした。副鼻腔炎という病気で長い間抗生剤投薬していたので、きっとそのせいもあって子供が健康に生まれないんじゃないか、との事でお別れすることになりました。 上司は目を逸らしながら気まずそうに「乗馬にいくらしい」と言っていましたが、もう1人の上司は「そういうことにしておきましょう」とのこと。乗用馬としての馴致をやらないと乗用馬になれないということも、現実では乗用馬として引き取られたあと行方不明になっているということもしっています。言い方は悪いですが殺処分ということでしょう。 その馬はとても人間を怖がる子で体に触る度に鳴く子でした。それでも絶対に攻撃はしてこない優しい子です。最近だんだんと触っても嫌がらないようにリラックスしてくれるようになってくれていました。せっかく人間を信用しかけてくれているのに、なんだかもう辛くて、結局最後に裏切るなら私のしていたことはなんなんでしょう。 生かすのが善で殺すのが悪なのかもわかりません。が、死ぬ瞬間は痛くて怖いはずです。今日がお別れの日です。もう辛くて涙が止まりません。あの子は本当に乗用馬として生きてくれるんでしょうか。私がしているこの仕事は馬を殺すことに繋がる悪なんでしょうか。馬を救いたいと思う私のこの気持ちは幼稚なんでしょうか。馬の最後はしょうがないことなんですか?変えたいと思うのは綺麗事ですか
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27人がこの質問に共感しました
この仕事が「馬が好きでないと勤まらないが、好きだけでも勤まらない」と言われるようにそういうことは日常茶飯事ですね。 馬を救いたい、と願うなら貯金して1頭でも引き取り生涯飼うか、あるいは馬の第二、そして最終の馬生を送る場所を整備するかです。 クラウドファンディングはあくまで自分の身銭を切り、それでも足りないあと少しを募る場所。近年多発している「自分の身銭を切らずにはじめから他人の金頼り」のものなんてただの可哀想ビジネスだと思ってますよ。だって、他人の金集めたところで生き物なのですから予定外の出費とかあるじゃないですか。手術とか。それすらも他人にたかるのかな。って思いますよ。自分の身銭切らないで、んで他人からお金集まらなかったらその子はどうするのでしょうか。見殺しにするのでしょうか。そんなん、私ら畜産業の人間以上に動物を道具にして金巻き上げてるだけじゃないですか。 あと乗馬にして救ったところで、受け入れられるの馬房の数は限りあります。新しく1頭が乗馬になれば、これまで乗馬として生きてた馬が1頭行き場なくなるだけ。 受け皿増やさず闇雲に救うだけなのは馬を救うことには繋がりません。ただのエゴ、救った気になってるだけ。 私も競走馬の中間育成部門でやってますけど、そりゃ辛いことはあります。でも割りきりが大事なんです。いつかは貯金崩して関わり合った個体1頭だけでも引き取り看取りたいと考えてるけど。 全ては救えません。慈善事業ではなく商売、経済動物で、情だけで動けば他の全頭を路頭に迷わしますから。だから救える数を可能な限りやるのが大切。闇雲にやろうとしてもただの可哀想ビジネスです。口だけの可哀想なんて馬の飼い葉代にもなりませんからね。
なるほど:21
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辛いですね。 私はたった1匹の愛猫との別れすら、未だ乗り越えられていません。 質問主様のように唐突でなく、覚悟を決める時間が有ったのに…です。 生き物に関わる事は、幸せを感じられる反面、いつかは来る別れの辛さも絶対にセットなんですよね。 私は質問主様を幼稚だとか、綺麗事だとかは思いません。 悲しむ気持ちが無かったり、目を逸らすように「乗馬に…」と言うようになるくらいなら(その方が精神的には楽かもしれませんが)、辛いですが忘れず、出来る事や出来た事、出来たはずの事を、今後の為に考えてみるのはいかがでしょうか? 乗馬で活躍し、自分の食費以上に稼ぐのは、馬にとってとても大変な事かと思います。 性格的に臆病であれば尚更…。 そんな子が、稼いで生きていける場所って、どんなところでしょう? そんな子が、乗馬で稼げるようになるには、何があると良いでしょう? 例えば、乗用馬として長く面倒をみてもらう為には、人馴れとか、愛嬌とか、毛並みの良さとか?引き取り先で何かあっても「もうちょっと様子見してみるか」と思ってもらえるようだと良いのでは無いでしょうか。 私が思う、質問主様の今できる事は、日々のお世話でその部分を僅かにでもアップさせる事ではないか?と思いました。 私こそ、綺麗事の夢物語で、現実から目を逸らしているだけかもしれません。けれど、確実な方法である「自分で飼う」は、どう足掻いても現実的では無いですよね…。キリがないですし。 なので、もし乗用馬として引き取られる子が、今より少しでも綺麗で人馴れしていて愛嬌を感じて貰えて、本当に乗用馬としてお客様に長く愛されたら、良いのではないかな?と思いました。 勿論、最初から乗用馬という前提ではないかもしれませんし、引受先はシビアで温情とか皆無かもしれませんが…、少なくとも馬嫌いでは無いでしょうし、質問主様以上にそういったジレンマとかモヤモヤとか、不完全燃焼な思いを持っているかもしれません。 出来る事は日々の僅かな差を積み重ねるようなもので、余計辛くなるだけかもしれませんが、現実的に出来る事…と思い、考えてみました。 正解か不正解かは全くわかりません。 その職を離れるというのも、選択肢の一つでは有りますが…。 私は、ペットに全力で愛情を注いでいます。 なので離別の時は本当に辛いと思います(笑) けれどその時、「幸せだった」「この家で良かった」と絶対思ってほしいので、そう考えながらお世話しています。
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きつい回答かも知れませんが、競馬自体が人間の射幸心を満たすためだけのものですから、競走馬生産牧場に勤められる時点で馬が経済動物と割り切るしかないと思います。 競走馬は勝てないと淘汰されるという過酷な運命を背負って生産されているのです。 また、それなりの成績を残したとしても、種馬や誘導馬、乗馬クラブで余生を全うできる馬はごくわずか。全頭を救うなんてとても出来ません。 運よく乗馬クラブに行ったとしてもこれまた余生を全うできるとは限りません。気性が荒く乗馬に適さないと判断されたり、そのクラブでの使用目的に合っていないと判断された場合も淘汰されるという過酷な現実があるのです。 私は乗馬を趣味にしていますが、やはりこのような悲しい現実に直面して心が痛むことはあります。しかし、馬は其の大きな体のため維持には相当な費用が必要です。感傷だけでは全ての馬を生かし続けることは出来ないのです。 牧畜家も同じと思います。彼らも精魂込めて愛情いっぱいに動物を育てているのだと思います。しかし、最終的には食肉にしなければ、牧畜家の存在意味はないのです。 残念ながら人は動物の生き死にの残酷な決断をしなければならない存在なのです。
なるほど:7
そうだね:1
クラウドファンディングなど検索されたことありますか? 元競走馬などを救うための案件がすぐに見つかります。 検索してみたもの載せておきます。 https://readyfor.jp/tags/horses 自分が初めて興味を持ったのは、 あるオーナーの方の奮闘記を目にした時です。 支援総額はすぐに満口になり、何頭かの持ち馬の「次」が決まり、 肥育牧場から移動する運びになっていました。 救うための手立てがあることを初めて知りました。 もしかしたら質問者様も先にこれらを「知」っていたら「行動」できたのかもしれないですね。 知る事は武器になりますので、いろいろ調べてみてください。
なるほど:2
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