解決済み
就職氷河期世代ってある意味就職に有利なのでしょうか?私の就職氷河期世代の親族に向上心があるのかなかなかすごい人がいます。 現役でFランク大に入学し1年ちょいで中退し国立大学に入り直す(実質2浪)。その後、大学生の人気企業ばかり受けるも決まらず、新卒を維持するため就職留年(3年遅れ)。就職留年後も大手を中心に受けるが全滅し無職で卒業(4年遅れ)。大学卒業後30歳まで無職ニートをしながら公務員試験に切り替え受け続けるものの採用には至らず(最終合格した試験種はあること)。 親、親族は絶望状態。 しかし、32歳職歴なしで中央省庁所管の財団法人に決まり就職。39歳まで働き続け、40歳で県庁の社会人採用で県庁職員に転職。 32歳職歴なしでまともな組織に就職できること、さらには40歳で県庁職員になることは奇跡的にしか思えないのですが、この世代がいないということで優遇されているのでしょうか?
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努力する人間には相応のポジションが回って来る。 そういうことでしょう。就職氷河期世代だから有利というのではないはずですよ。 もしそれがバブル期以前であれば国立大学に入り直した時点で案外、スムーズに就職したと思いますよ。青田買い主体の大手は敬遠した可能性は高いがそうでない所は、むしろ大学を入りなおした経緯に体育会系のノリで採用したかもしれない。 さて就職氷河期というものがマスコミの勘違いした命名のため当時の学生を迷走させましたが実際には図のとおり。 つまり大規模なリストラ(産業構造の再編)が始まった年でした。 既存の企業は斜陽化し人員整理で真っ青でした。 その一方で慢性的な人で不足がIT系でおき、素人をかき集めて三ヶ月の講習を行いSEと称して派遣する社会問題を起こしていました。 当時、この状況を理解していれば就職に困らなかったのもまた歴史的事実です。 当時、IT系に進んだ自称Fランク卒業生は最近まで就職氷河期という言葉があったことさえ知らなかったそうです(実話)。
なるほど:4
「就職氷河期」なんてインチキすぎる後付け用語に釣られないで、自分の身の回りを よく観察し、実際は何が重要なのかよく考えて、この安易で簡単で一様すぎる 考え方にノコノコついていかない、疑いを感じて少し距離を置く、その程度、 ただそれだけの有利さ、というか「誰も責任を取ってくれないいい加減な用語をバカ正直に捉えている連中」よりは盲目でない、という程度ですかね。 「就職氷河期」って単語、十数〜二十年程前にテレビなどで(つってもNHKのニュースとかで勝手に言われてただけだと思うが)見かけましたが、正直「ハァ?」と しか思いませんでした。なんか、皆が規定のやりかたで学校を進学していき、 特定のタイミングでどっかに”就職”するものだと、なんで思い込めるのか? そしてそれが良い生き方、安全安心で安定な生き方だと、なぜ、未だに信じ こんですんだろう?と。 もうその当時ですら、エリート教育の歪み、学歴信仰のインチキと実態が 様々なメディアや表現作品(漫画や小説といった庶民的なモノだ)で日常的に 取り上げられ、どちらかと言うと問題は、実力や実際のその人そのものの、 その時対峙した場面での能力や知恵の力ではなく、経歴や肩書で物事を判断する事 の不公平さやばかばかしさ、無意味さ、全員が徒労して誰も得をしていない事など が多く表現されてたと思います。それだけ、戦後のインチキ平和安全安定教育の 理想主義のデキの悪さが実際に証明されたわけです。既に何十年も前に。 サラリーマン人生、国民総中流なんて妄想概念、俺の親世代(戦後直後生まれで今70代くらい)の連中の頃の話ですよ? その子供世代、70〜80年代生まれ90年代育ちは、その親世代のインチキに 散々苦しめられ迷わされて、非行に走ったり、良い子ちゃんでいる事の限界に 達してぶっ壊れておかしな新興宗教にハマったりマルチ商法に狂ったり、 訳もわからず暴走したり意味不明に人殺したり、はたまた90年代に流行った 神経症やうつ病やらに感化されて、当時から今に至るまで量産された大量の 擬似”精神病”だと思い込んで未だにその束縛から逃れられなかったり、 結構散々な事になってる人間が多かったんで、たまたまそのどれもにそこまで 深入りも、また逆に知りもしないで分かったふりとかもせずに、 一体何が、本当なのか?本当の自分の人生とはなんだ? なーんて悩む事が十分に可能でした。 全部自分で極限まで試さずとも、人一人の人生賭した実験結果を 多く目の当たりにでき、自分の一度しかない人生で実際に色々試すという リスクを回避しつつ、学歴や肩書信仰のような完全妄想にもハマらずに済み、 ちゃんと、自分の人生を自分の人生として苦労し苦悩し喜び楽しむ事が できるようになった。苦悩と幸福は表裏一体で、片側だけしか味わう事が そもそも不可能だと知れた。 (だから、不幸しかないと言う人間の訴えはその時点でインチキだと言える。 また、双方ともそこそこだ、という人間は、平均から一歩も外に出た事のない、 喜びも悲しみも中途半端な領域しか知らない無知蒙昧だと分かる) 今の子らは? 何してんの君たち? 県職員? だから? 社会的な立場の、単に社会的な良俗(平均的価値観の平均的未来予測方法、つまりあてになるわけがない、そのルールにのっとらないでも生きている人間が無数に絡む事を避けられない)だけを基準に安心か不安かなどと揺れ動くしかない自分に、疑問も感じないかい?
なるほど:1
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