1890年代に小樽は北海道開拓と国際貿易、そして漁業の拠点として発展しましたが、当時の北海道は電気が普及しておらず、家庭では石油ランプが使われていました。またニシン漁で使っていた浮き球も大量に必要でした。そこで小樽ではこの石油ランプと浮き球を作るガラス工業が盛んになりました。そのとき、もっとも手広くやっていたのが今の1901年にできた北一硝子の元となった浅原硝子という会社です。 戦後、石油ランプや浮き球の需要がなくなったとき、北一硝子が「工芸品」としてのガラスを作って成功しました。小樽に残った西洋風の建築物にもちょうどマッチしたし、旅行ブームにも旨く乗る事ができた。当然、他のガラス業者もそれを真似るし、さらには小樽以外の場所からやってきて店を開く会社もできるようになったのです。
>観光街にガラス細工などの装飾品の店 昔、小樽に行った頃は、 寂れた街で、ガラス工芸品も細々と売っている程度でした。 しかし、20年程前から小樽は観光に力を入れる様になりました。 そこで、伝統のカラス工芸を大々的に復活させた経緯があります。 小樽が女性に人気が出だしてから、その傾向が鮮明になり、 現在の小樽は、食べ物・お得意の工芸品、が十二分に楽しめる観光地に変貌してと言えるでしょう。 昔は、小樽観光は札幌からの日帰りが難しい程、列車の数も少なかったのですが、 今はその様な事も無く、訪れやすい街になりました。 女性の人気を掴んだ事が成功の要因かと思います。
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