解決済み
英語講師と教授について発音がネイティブ並みという訳ではけっしてないけれど、語彙や文法の知識、そして英語圏の文学や思想に精通している大学教授と、いわゆる「ペラペラ」だけれどそれだけが取り柄で、結局はアメリカ人のなり損ないのような英語講師とを比べると、これが同じ人類なのかと、その差に愕然とします。 さらにショッキングなのは、後者を良しとし、前者の発音を痛罵するような人間が少なくないという事実です。いったい何を見ているのか・・・。 みなさんどう思われますか?英語講師って、男子一生の仕事というよりは、英語好きのババアのパートというのが実状なのに、なぜみなさん「ペラペラ」になりたがるのでしょうか。
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「ペラペラ」の質にもよりますが 人に言葉を教えるという立場の人は、言葉の使い方や、言葉にまつわるいろいろな情報(例えば、歴史や文化・慣習など)も教えられるようでなければいけません 生徒・学生が疑問に思ったことに対して、きちんと説明ができなければいけません それは、文法的な解釈だけではなく、実際のコミュニケーションに基づいて「なるほど、そうか」と生徒に思わせるスキルがなくてはいけません どちらの講師が素晴らしいというつもりはありません いくら知識があって「へー」と思うところがあったとしても、役に立たない知識は結局トリビアにしかなりません 生徒・学生の次の学習に役に立つ情報、彼らが自立して学習していける内容を語れる講師・教授でないと、どちらも同レベルです さて、質問の方は大学教授に対して評価できるところを見出した ペラペラの英語講師に対しては、否定的な印象を持った さて、私がどちらの授業も受けたとして、同じ印象を持つかどうか 決して質問の方言ってることを否定しているのではなく、どちらかというと肯定的に受けとめているのですが、よく考えると、その判断は生徒・学生の側に預けられているのだと気が付きます あえて私なりに言葉を選んで別の言い方をすると 生徒・学生が知識もなく、アホであれば、ペラペラを選ぶんですよ 生徒・学生がきちんと勉強していて、「おぉ、これは深い」と思えば大学教授を選ぶんですよ 教授も講師もそれなりのお金をもらって仕事をしているわけですから、相当の仕事をしているのですよ そうでなければ解雇されているはずです アホな生徒でも、ぺらぺらな講師を目当てに授業を受けてくれれば、学校にはそれなりのお金が入る 学校にとっては、非常にありがたい存在なわけです でも、その生徒の中でもきちんと勉強を続けていけば、「何かおかしい」と思う時が来るはずです そうなれば、結果論ですが、一時期はアホな生徒だった人も、「これではいけない」「お金を損した」と努力を重ねて、最後には立派な英語話者になるかもしれません いろいろ書きましたが、基本的に質問の方の言っていることを、私なりの言葉で遠回しに語っただけです
日常会話主体で話せることに視点を置くのか、話す内容に視点を置くのか、はたまた書けることに視点を置くのか評価基準をどこにおくか、視点や必要性により評価は異なるのでなんともいえないのでは たとえば、学校で英語を教えている先生が、電車に間違って載ってそうな外国人をみてこの電車は○○行ですので、降りて云々などと英語力を披露するよりは日常会話できる人にYou are on the wrong train!と一言といってもらって発車間際に降りてもらう方がベターですが、大学の講義などなると逆に専門語が知っていないと教えられないですし、
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