解決済み
今までの総括 質問というより、雑談です 過干渉や人の気持ちを受け入れて生きてきたことで、 元からある「自分の感情」を失ったこと 中学時代:周りがくだらないいじめを多くの人にしていた ついていけないのでクラスから距離をとった 元の多数派のグループに戻れたけど、「自分の意思で」戻らなかった Yという友人に、今になっても、「あの時は、二人で寂しさを紛らした」と言われて違和感 Yがクラスから孤立する構図でしか人間関係を結ばないのと、 大人になっても変なお笑い趣味しか話せないから辛かった 他の当時の同級生に聞くと、Yは他にも上下的な関係が他人との間にあった 中学の同級生はみんな依存的か過干渉的 最もいいと思った友人Tすら、いつも誰かと一緒にトイレに行かないといけない感じ 高校時代: 祖父母が近くの学校に通う前提なので行った そこの生徒は学力が低く趣味が暗い 人間関係は、人それぞれに立場や感性があると思うけど、 私一人に対しては度外視された行為を受けた 自分の立場から人は自分の感情を解釈して言ったりすると思う 私の場合は、当時のグループに自分のことを言っても、 過度に情緒的とか弱弱しいとか責任感が強すぎるとか真面目とか、 冷静さや現実性のない見方をされた 当時、父に進路について会話したが、 最後までテレビを見ながらで真面目な現実的な助言、学費の話はなかった 私は当時から本当は出世欲もあったし現実的なキャリア(学歴社会だ、学部はどれとか)を考える力があったが、 その地域はそれを言えない雰囲気 言えば、周りの生徒への批判と過度に受け取られそう 同じグループのDが過干渉的 高校3年間で気疲れすることが多かった 大学1年: 高校時代から卒業したら地元の人と縁を切ると決めていたが、 連絡が来るので切れなかった 高校時代まで狭い田舎なので、大学からが自分の人生と感じていたが、 学部は親との会話や地方の就職を考えて選んでしまった 田舎を抜け出すことに必死で、心に嘘をついて地方国立を学校の進路方針に合わせて受けて、 学部入学後の進路など中長期的キャリアプランはなかった 心にはあったが、相談できる相手がいなかった 大学からは人の気持ちや人間関係に左右されず生きたいと感じた しかし、祖母が「ご近所様が褒める」と言うので、 大学1年間は自分の気持ちを打ち消して文学部らしい学生生活を続けていくうちに、 自分が何重にもあるような感じがした 1年11月までサークルを続け達成感はあったが、人間関係の問題(私が大人しい子の世話してしまう)と、他のことをしたくてやめた 後期から自分のなりたかった、ただ遊んでるだけの大学生ではない学生になれてないのを嫌に感じた 大学2年 春に編入しようと思ったのに、なぜか学費がかかるからと辞めた この年は自分のものの考え方を父にメールで伝えた でも、返信はなかった ずっと家族団らんをさせられた 進路の話をしたいのに、家族旅行とか 大学3年 やっと編入できた この年は機運が合って、それまでの遅れもなしにできて元気になれた 大学3年 編入後の3年 この年の春までに大学1年の時の夢を目指そうか迷ってると父に言うと後押しなし なぜか親の前では過度に情緒的で、夢も第一志望でなく第三、第四志望を言ってしまう 周りの人間関係も親子関係に思えてうまく雑談できない 年上であるのを気に病むとか(浪人生なら同い年なのに) 進路に向けて何もできなかった 大学4年 5月に院試を受けたいとキャリアセンターに行ったら、後押しどころかセンターの方針で、 就活しろと言われ 無理して就活しても合わない企業ばかり 夏に祖母に「お金がない」と電話で言われ不安でインターンへ そこに受かれば働いて奨学金返済も可能 落ちてから院試 当然、対策できず落ちた 冬に最後の院試 これも教授が死ぬなどで落ちた ただ、編入してから自分の人生のペースを取り戻すはずが、 かえってまた神経症的に抑圧、実際に、 大学4年で嘔吐することもあった 入社1年目: この時に本来は目指したかった大学1年の時の夢を目指そうとした 予備校では会社辞めるかと言われ、生活費のためにできないと私が言うと、 第二志望のカリキュラムにされた 神父に相談したら、「無理な計画を立ててる」と言われた その背景はいつも親との会話のずれ、学費の問題を私が早くに遠慮し過ぎ、 その間の数年の生活費を無駄にするから 1年勤務して辞めれば海外インターンの要件にも使えるのでそれもいいかと 祖父が病気のこともあり続けた 入社2年目: 辞めるか本格的に悩み、1年目から親戚のおばさんに気持ちをメールして応援されたり、 中学の友人Yに連絡して応援された 1年目3月にも業界の人に将来のために業界を出ていく方がいいと言われた 大学の同級生にも 家族や予備校の受付より風通しを良く感じた 元気になった 父からいきなりメールが来た 「今より不安定な勤務先に転職したい」という風なことが書いてあり、 生活の不安でまた、私が辞めるのを踏み切れなかった
夏から自分の進路を考えられるようになった 背景に家族以外と連絡が通じたこと この時も自分のために必要な英語のスコアなど取れないとか、 人間関係に振り回されたとか、時間が今までの1年浪費された 本来の戦略にその時、戻っていいのに戻らず、 当時の関係性や条件に合わせて院試を受けた 大学1年時の統合的な人格とキャリアプランに戻れなかった 進路で問題がある時も、知恵袋にアダルトチルドレンな質問をした 本来は、アダルトチルドレン(愛されなかった)というより、地元は過干渉な人は多い 人それぞれに感性や立場があるのを、私については度外視、おせっかいなことが多く、 心の距離を保ちつつも、学費など大事なところは会話するといった丁度良さがなかった 青年期の個人としての人生を歩まないといけない立場を祖母やおじさんは理解できず、私は、この人たちが昔から苦手 苦手な人ほど迫ってくるのできつかった 高校時代の同級生Dも苦手 高校時代は、無理解からのあらぬトラブルや噂をよく作られ、 自分由来の感情でなく他人由来の感情や周りの問題処理のために感情を作られた感じ 大学から人の気持ちを受け入れないで、自分由来で行動して新たな関係性を結ぶ必要があった
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