解決済み
31才無職男です。3ヶ月前まで警備員を7年やっておりましたが、うつになり、会社を無断欠勤し山の中を5日間さまよい自殺未遂し退職してしまいました。毎日後悔と不安感に押し潰されそうです。自分には何のスキルもありません。パソコンも電話応対も名刺交換もできません。サラリーマンなら当たり前に出来ることができません。現場での交通整理やイベント警備の仕事しかしておらず、何のスキルも資格いらない仕事をしていたため、なぜ色々資格をとったりセミナーにいったりして自分を高める事をしなかったのか悔やんでます。若い頭のいい事務の女の子が会社できびきび仕事をしているのが羨ましく、同時に劣等感を感じてました。自分の惨めさに耐えきれず、キチンと筋を通さず会社を辞めてしまいました。自分のダメさ加減に嫌気がさします。自分はダメじゃない何て変なプライドは捨て今からでも努力すれば何とかなるものでしょうか? 個人的には介護の仕事がしたいです。人の役にたつ仕事がしたいです。ですが、狭い世界でしか生きてこなかったので新しい環境に不安でいっぱいです。新しい一歩を踏み出す勇気が出ません。 もう自分が嫌でどうしようもありません。
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大変でしたね。 私は大学時代にうつになった事があります。 お気持ちを少しは察することが出来るつもりです。 まず、うつについての治療は受けられていますか? うつは病気です。 ちょっとした気分の落ち込みではありません。 しっかりと治療を受けましょう。 そうすれば少し落ち着いてきますよ。 私はいくつからでも、どんなことでも挑戦できると思っています。 31歳。まだまだこれから。 心身共に気力がみなぎってきたら、是非新しい事を挑戦していきましょう。 あなたにしか出来ないことが必ずありますよ。 まだそれが分かっていないだけです。 私は親との関係が悪く、おまけに父親の仕事で転勤が頻繁で転校するたびに学校でもいじめられてきました。 逃げ場はどこにもなく、親にも言えず、死にたいとばかり思ってきました。 でも、自分にしか出来ないことはあると信じ、まずは勉強と思い必死で勉強してきました。 高校から家も出ました。下宿して高校に通い、大学も独り暮らしをし、今は社会人を13年やってきていますが、ひとり暮らしで生計を立てながら資格も取得しています。 私は、四年前と二年前にそれぞれ別の病気でがんの疑いがあり、半年で死ぬよと医師に脅されました。 それまで何かあると「死にたい」と考えてきましたが、四年前の時仕事も首になり、ささやかに貯めていた貯金も医療費に消え、悪性であれば半年の命と言われ、足の骨の腫瘍だったので術後実家に帰って静養するように言われました。 無一文、不健康、無職の状態で一時実家に帰ることになり、最悪の日々を送りましたが・・・実家の天井を見ながらこれからの事を真剣に考えました。 私は母からの厳しい教育が今でいうと虐待に当たることを大学の心理学の講義で知りました。 母の癇癪がいつ始まるか分からず、母の顔色ばかりを見て、母が納得する答えを常に選択する癖がついていました。 高校で家を離れると、自分の好きなものも嫌いなものも分かりませんでした。すべては私がどちらを選べば母は満足か、今日一日家庭が平和かが判断基準でした。 母の考え通りに大学に進学しましたが、こんな私が学校の先生を務められるとは全く思えず、教員免許は取得しましたが、教員採用試験は二次試験に合格するも断りました。 そこから地獄の就活が始まりました。 100社応募するも面接に漕ぎ着けたのは50社。それでも卒業までに3社内定をもらいました。 母にはそれでも、「大学までいってそんなところにしか就職できないのか!」と罵倒されましたが、会社で認めてもらおうと必死で努力しました。 二社目は今から思うと運悪くブラック企業に勤めていました。 それでも、少しでも昇格しよう、結果を出そうと必死に勤め上げた結果、週休は1日あればいいほうで、毎日12時間以上の勤務に疲れ果てボロボロになった挙句の病気の発覚でした。 全てを失って初めて、死にたいと思わなくても死ぬときは必ず訪れるという安心感を感じると同時に、どうせ死ぬんだったら私の長所を生かした上でかつ人の役に立つ仕事をしたいと福祉・介護の業界に足を踏み入れることを決めました。 その時31歳です。 病気の結果は良性でした。 何にも知らないまま、31歳での転職。 厳しいことは予想されたので、受験資格のいらない介護関係の資格を片っ端から取得しました。 ・福祉用具専門相談員 ・福祉住環境コーディネーター2級 ・サービス介助士 ・ヘルパー2級 ・介護事務などです。 転職活動の結果、今働いている会社に就職できました。 週休はきちんと二日あり、賞与は年二回。有給もきちんとあり、夏と冬には季節休暇があります。 年収は前職と比べて100万以上下がりましたが、今きちんと生きている実感があります。 今年介護福祉士も取得し、来年の受験に向けて社会福祉士の勉強をしています。 誰にも人生を代わってあげることはできません。 逆に言えば、人から何と言われようと自分の人生を良くできるのも悪くするのも自分自身です。 必ずできることはありますよ。 先ずは体を大切に。 質問者様が人生を良い方向へ切り開いて行けるよう祈っております。 長々と申し訳ありませんでした。
うつは辛いですよね。 しかも、うつに対して理解のない他人からは、怠けているように思われてしまう。 でもね、それはあなたが悪いのでは無いのです。 そういう病気なのです。 だから、自分を責める気持ちは解るけど、責める必要は無いのです。 病気なのだから、治療をすることが大切なのです。 しばらく、休養されてはいかがですか? 無断欠勤して退職されたということですから、 健康保険の傷病手当金の請求ができる可能性もあるのでは? 要件は、全国健康保険協会に相談されると良いでしょう。 もし、傷病手当金がダメでも、 障害年金の請求もやってみるのもありです。 年金の相談は、年金事務所でしてもらえます。 ただ、障害年金は、初診から1年6か月後の診断書が必要になるので、 すぐに受給することはできません。 これらをするのが苦痛というのがうつなのですが、 相談に行ってみれば、少しでも気分がましになるかもしれません。 とにかく、 まず、うつの治療を継続することが大切です。
貴方が【これまで一切何もせず働かず、親のスネ齧り引き籠りニート】 だったとしたら、社会復帰(?)のハードルは相当高くなってしまう。 (それですら【本人のやる気次第】で、可能ですけどね) ところが貴方の場合、これまで7年、同じ仕事をやって来られたという。 交通整理やイベント警備、いずれも立ちっぱ仕事で楽とは言えない。 暑い日も寒い日も悪天候の日も有り、中々大変な仕事です。 だとしたら、次のステージに進んだとしても きっと貴方はまた、コツコツ努力を続けられると、私は思う。 以前の会社をきちんと辞められなかったのは、少し残念だけど それだけ心が弱って、普通の状態ではなかったということ。 そういう事は、誰にでも起こり得ることです。私も有りました。 事務の仕事も営業の仕事も、大工さんもサービス業も警備員も。 みんな【社会に必要とされる仕事】に変わりなく、どれがエライ どれが賢いというものでは有りません。 そしてどのような業務内容でも【続けていくことの慣れ】で 有る程度出来るようになるものです。 逆に考えれば、サラリーマンに交通整理は出来ません。 整理どころか、更なる混雑や事故を招くのがオチでしょう。 30代からのトライは、決して遅きに過ぎることは有りません。 怖いのは、出来ることが有るのに、出来ない言い訳ばかりを探して 逃げ出してしまう(それにより時間を空費してしまう)ことです。 介護は、殊にその厳しさから、常に人手不足が叫ばれており 貴方以上の年長者(未経験の)でも、皆さんトライなさってます。 ご自分がやってみたいこと、にトライして若しダメだったとしても 家に引き籠って嘆いていても、同じように時間は過ぎていく。 だったら、どれが自分に合うだろう? どれなら続けて行けそうかな。と、トライし続けてコケても 私はその人がダメだとは、全く思わない。
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