青函連絡船の末期は、船員の多くは定年退職が近い職員や、定年退職後に臨時職員として再雇用されていた人がかなりいました。 青函連絡船乗組員で船乗りを続けたい人の多くは、国鉄分割民営を前提とした人員整理で国鉄を退職し、国内の船会社に船員として転職した人が多かったと聞いています。 それでも末期までいた定年まで年数が残っている乗組員は、青函連絡船廃止後は陸上に配置転換され、鉄道職員として再出発したとのことです。 その中のJR北海道以外のJRに採用が決まった者については、1987年4月~1988年3月までJR北海道に出向して青函連絡船の運航に携わっていました。
さまさ”まです。 過去の回答例ではこのような回答例がありました。 「青函船舶について退職せずに残った方々の動向は、広域移動に応じて東京で勤務された方もいます。 このかたがたは鉄道現場より飲食などの直営店が多かったように思います。 北海道に残った方で、甲板部に所属していた船員は函館駅・札幌駅の駅員となったり直営飲食店の店員に出向したりしていました。 事務部の船員は駅員のほか一定の経験がある人は車掌になった人もいます。 機関部に所属していた方は電気区や保線区に行かれた方もいます。 退職して東日本フェリーの社員になった方や、函館湾遊覧船の船長になった方もいます。」 またその他では、士官クラスは海技大学校や水産高校などの先生に転職した人もたくさんいました。今はもう定年退職しています。
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