あの当時は私自身会社に居座ろうと考えて居たんですが当時の上役から 「皆、親族とか家族とか心配するからとにかく帰りなさい」と言う業務命令で。 同僚の中には交通機関が止まってんのに 馬鹿な発言するな、という返答をしてたらしいですが、会社としては皆さんの安否は保証出来ない、とか言うから仕方なく帰りましたが。また、デカい地震が来るかも? とか言う人も居たから。 都内出る迄は芋洗いみたいな感じで人人人に付いて行く感じで。 墨田川渡り荒川渡り埼玉県に入ったら ホント、数える程に減りましたけどね人は 。川口市内だったか?国道122号の歩道歩いてたら近隣エリアに住んでる人から声を掛けられて 「どっから歩いて来た?震災のあれか?」 「都内から、歩いてる」と言うと 「まじか!、あんた、、、」と言われた。 思わず、 「靴屋か?知らない?運動靴履き替えたい 」と聞いてしまった。 なんせ、、パンプスでひたすら歩いてたから。 近隣エリアに個人でやってそうな店が有ると聞いてひたすら歩いて探しましたね。 やっと見付かり店じまいしてた亭主に訳を話して「男モンの運動靴しか無いけど」 と言われたけど、それで良いから、と言ってサイズデカいけど先っぽに新聞紙入れて 歩きましたが。実は都内でやはり個人商店見付けて運動靴履き替えたいと言って買えたんだけど、、サイズが余りにも大き過ぎて途中でやはりパンプスに履き替えて歩いてました。川口市内の靴屋のご亭主が 「お姉さん、懐中電灯やるよ、」 と言うから頂いて有難い思いはしましたね。「頑張って帰れよ!お姉さん!」 と励まされて。 まあ、色々有りましたが、、、 計画停電なんか有りましたからね。 ガソリン、灯油も゙手に入らなかった時期だし。私自身はさいたま市内で1人暮らししてましたが石油ストーブが無くファンヒーターだから計画停電されたら、毛布にくるまりジーっと部屋内で丸くなってました。 こんな経験談も有ります。 歩いて帰ったら、日付変わってました。 なんせ、休み休み歩いてたから。 朝日が何故か?眩しかったのは覚えてましたよ。会社は月曜日から動いてましたが 出社したのは半数にも満たなかったですね 。私は出社しましたが。
なるほど:8
当時は広い範囲で通信が途絶したため、離れている家族やペットなどが「どこでどうしているのか」が全く不明でした。 子供が一人で留守番している家で家具が倒れているかも?猫がいる家でガラスが割れているかも?要介護の家族のいる家の近くで火災が起きているかも? そういう心配がある状態で会社に泊まるという決断ができる人はそういないでしょう。 多くの社会人には有休がありますから、もし何かあれば数日は有休で対応するつもりもあったと思います。 かくいう私も歩いて帰った一人です。途中から私鉄が動き始めたのでそれに乗りましたけど。
なるほど:5
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