兼六園は前田候第12世斉広朝臣、証金龍造園竣功の後に、此湖園記文より、兼六という文字を取りて、園名と為し、白河少将楽翁公の揮毫を請ひて、扁額を作り、之を園門に揚げられしと云ふとあります。 兼六の語源は宋の詩人・李格非の『洛陽名園記』の中で中国洛陽の名園・湖園を「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園」と謳った文をもとに命名されました。その文は以下の通りです。 洛人云、園圃之勝、不能相兼者六 務宏大者少幽邃、人力勝者少蒼古、多水泉者艱眺望 兼此六者、惟湖園而已 洛人の云ふ、園圃の勝、相ひ兼ねるあたはざるは六。 宏大を務むるは幽邃少なし、人力勝れるは蒼古少なし、水泉多きは眺望艱し。 この六を兼ねるは、ただ湖園のみ。 この思いが白河少将楽翁公(松平定信)の揮毫です。 誠に雄大な揮毫です。 さて上の枚ですが、私は書家ですが読めません。 2枚とも「偽字」だからです。 「尊攘」「兼六園」と書いたつもりでしょうが、先ず文字として成立していないです。 草書のどの崩しで考察しても画像の文字に崩せません。 又筆順が間違っています。 後、一筆で書き上げましたか。途中で墨を筆に足していませんか。 幕末に書かれた「尊王攘夷」の揮毫は血書で書かれてる物が多い位、その揺るぎない、その思想の強さは計り知れないものです。 仮に墨書で書かれていても墨を摺り、墨が減っていくのは我が命を削る行為とされていました。 残念ながらあなたの書には全く伝わるものがありません。 先ずは下手でもいいので心構えと向き合い、正しい筆順で草書の崩しを覚えてください。 最後に決して「墨汁」は使わないことです。
なるほど:1
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毎回、丹念に筆の動きを追って書いておられるのには感服いたします。 以前も申しました攘や、今回は兼、園の書き順や形が見えづらく難しかったと思います。 でも見事に書いておられると思います。 ただ一つくせがあって、左に倒れるように字を組んでしまうことです。 兼の一画目の点よりも、四画目の始筆の方が左に出なければならないのに、引っこんでいるので、倒れて見えるのです。 これは尊でも指摘しましたが、このことで全体のバランスが変わってしまいます。 たぶん書いている中で、貴方様も感じておられると思います。 一度コピーの上からトレーシングペーパーで敷き写しをされると良いと思います。(籠字という学書法です) 先人が、書くときに苦心して造形した様子がわかり、より感銘を受けると思います!
下の方が本物だという前提で指摘します。 「六」の左側の文字が瘦せている上に、けいがまえ?の中身が雑な書き方になっています。 「六」の横棒も短いです。 「六」の右側の文字は痩せている上に、左に傾いています。力強さを感じられません。
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