解決済み
看護専門学校の入学動機で他人の為というのは適切ですか? 26歳男です、現在看護師を目指して看護専門学校の受験の準備をしてて、志望動機を考えています そこで、看護専門学校の志望動機で他人の為というのは適正なのか、と考えました 志望動機はいま私はタクシードライバーをしていて、夜中に救急で病院にお客さんを連れていくとそれなりに沢山の人が順番待ちをしたり帰りのタクシーを呼んだりされるので、そういう人達を助けたいと思ったのと 多くの人を助けるには自分から困ってる人を助けに行くよりかは助けを求めて来る人を待ち構えて治療なりした方が効率がいいと考えたり(この志望動機は多分面接では言いません) (年収が400万から500万あたりが給料から引かれる税金が少なくかつ生活に困らない収入だと考えたのも面接では言わないと思います) コロナ禍で看護師が人手不足とニュースで度々報道されるのでそれなら自分が看護師になって多くの人を助けようと思いました、今ではコロナ禍は落ち着いたかのように見えてますが依然として人手不足は続いている様子なのでやはり看護師を目指そうと思っているのと まだしばらくは看護は機械化されないので当分職が無くなることはないと思い志望したのと、 他人が苦しむ姿を単純に見ているのが辛くて、何ができるかを考えた自分で人を自分の手で癒す事が出来ればいいなと考えら結果看護師になろうと決めました (医者やNPO団体に所属すること救急車のドライバー、介護士も選択肢にありましたが自分が目指すところは看護師だと結論づけました) どういう看護師になりたいかという看護師像というのは救急外来などで緊急の患者を助けたいというのがあります。 しかし、この他人の為という思考の正体が謎なんです 願書に書く他人の為とはなんというか、嘘くさく感じませんか? 確かに私は他人の為に看護師になろうとしているところもありますが、 看護師を志望する理由の一つとして面接などでは言うつもりはありませんが自分の近しい人が病気になった時ある程度は自分で面倒をみれるようにできれば安心だという自分本位な理由もありますし 他人の痛みに共感してというのも考えて元を辿れば明日は我が身という気持ちもあります。 それ以上に自分で不可解なのが他人の為に看護師を目指すという感情です。 仕事をするからには給料を貰います。 困った人を助ければ需要に応じて報酬が貰えます。 なら仕事をするのは自分の為じゃないのか?という考えにも至ります なので他人の為にどうこうするという志望動機は自分にとっては不自然に感じます 人手不足な業界はタクシーも同じだし他の業界でもそんな所は沢山あると思います 社会貢献の為にと他人の志望動機にも社会に貢献してどうすんの?給料が欲しいんだから結局自分の為じゃんと思ってしまいます なので他人の為に看護師を目指すという志望動機は適切なのか?という疑問に至りましたが どうなのでしょうか
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他人のためという言葉が不適切なだけだと思います。他人という部分を「病気やケガで苦しんでいる人」に変えたら良いだけではないのですか?
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