解決済み
戦闘機のパイロットは、少尉以上の階級が与えられるのですか? 各国軍隊 . 世界には様々な国があり、その多くがそれぞれに軍隊を持っていますね、自国防衛のためにも。そして、各国軍隊ではすでに戦闘機(軍用機)も持っているはずですが、パイロットの育成はどの国もすごく大変であるそうですね。 飛行しながら戦闘をしなければならないわけですから。 そんな難しい訓練を乗り越えて、戦闘機(軍用機)のパイロットに選出されると、高価な機体を預けられているというのもあり、一般的には少尉以上の階級を与えられるのが一般的な慣例であるとどこかで見聞きしました。 (そういえば、アニメのガンダムシリーズでも、モビルスーツのパイロットは少尉以上の階級にされているとか。) どうなのでしょう、これって真実なのでしょうか? 軍隊において戦闘機や戦闘ヘリなどの軍用機のパイロットは、少尉以上の階級が与えられるものなのですかね。 それとも、誇張に過ぎなくて、軍隊のパイロットであっても階級が少尉未満ということもめずらしくないのですかね? あるいは各国軍隊によっても、異なっているのか。 各国軍隊のパイロットに関心のある方など、ぜひ皆様のご意見をお聞かせください。
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「軍隊」には各国でスタイルがあり、必ずしも「同じではない」んです。 さらにはどうも「アメリカ軍が標準」みたいなイメージを持った人もいますが、これもそうとは言えません。 簡単に、この「パイロット」を中心に、私感でざらっとグループ分けすると、こんな感じかな? 1.伝統的なヨーロッパ型の階級社会 2.新興のアメリカ型学歴社会 3.軍隊が独立した戦前の日本みたいな社会 んで、質問者さんが言っているのは、やはり「2」ですね。 ここでは「大学卒」「在学中志願」「直接入学者」などが「軍の高等教育機関」を経て「パイロット」になり、その教育を終えた段階で「少尉(将校)任官」をしますから、お書きのように、「パイロットは少尉以上」となります。 「パイロット以外」でも、例えばB-17の「メンフィスベル」という有名な話(映画もある)を見ると、「操縦士」「副操縦士」「航法士」「爆撃手」が大学生、大卒、同等教育機関の出身で「将校」、その他が「高卒で下士官」ですね。 んで、厳格なのは、この両グループが混ざることがない、例えば「下士官」が「将校」には絶対にならない、なるには「一度除隊して、将校コースに入り直す」しかありません。 次に「1」ですが、ここではこう分類しましたが、実は「英米型」とか「欧州大陸型」とか分類される場合もあり、イギリスはアメリカに近いんですが、「将校に下士官を経験させる」みたいなコースもある、ドイツなんかはそれが一般的だったりするので、つまりは「下士官パイロット」が存在します。 さらには「下士官パイロット」が成績、戦功により普通に「将校に昇進する」というコースもあります。 んで、「3」の日本ですが、わかりやすく分けましたが、「制度的」には「1」のドイツなんかに近いかな?ただ、「日本軍」は、軍隊の地位は軍隊で勝ち取れ、みたいなのが徹底していて、大学生だろうが何もしないなら平気で「二等兵」からやらされます。 だから、当然ながら、日本軍には「下士官パイロット」が普通に存在します。 「大空のサムライ」で有名になった坂井三郎は「四等水兵」つまりは一番の下っ端で海軍に入隊、そこで飛行隊の選抜を受けて合格、「戦闘機パイロット」になってやっと「下士官」になり、彼の「戦果」はほとんどこの「下士官時代」です。 その後、重傷を負って戦線離脱、「教官」になってやっと「特務少尉」に昇進しただけで、ここ、詳しくは書きませんが、要するに「将校」じゃあありません。 まあ、こういうのも、先の分類の「1」や「3」だからあるせいどですけれどね。 だから、実は「ガンダム」ですが、シリーズの中で「階級」を修正しているんです。 「ファーストガンダム」では、「連邦軍」は明確ではないですが、「1,3」型軍隊という「想定」だったようです。 だから、任官時には、アムロでも「曹長(下士官)」だし、カイやハヤトは「伍長」に過ぎませんでした。 流石に後者2人はシリーズ中に「軍曹」に昇進したようですが、アムロはそのままでした。 それが、「劇場版」ではわかりにくいと思ったのか?多分は「2」アメリカ型の「パイロットは少尉以上」に変更されているんです。 まあ、こういう制度は「史実」でも、戦争中などには年毎に変わっていくんで、結構頑張って知る気が無いとわからなくなるんで、でも、最低限、「その辺は国によって違う」くらいに知っておけば、そう間違えることはない、逆に知っていくと、「あ、あの映画のセリフはこれか!」とか思い当たるとうになって面白いです。
なるほど:2
第一次大戦後に戦時空戦規定が定められて領空外での交戦権は権限を持つ士官以上と定められた。士官不在で交戦した場合はテロと見做して報復しても良い(国の交戦権ではない報復攻撃)ことになっている。 現在はNATOの協定となっている。そのため、前線で交戦する可能性のある戦闘機や爆撃機の機長は士官が任命される。 一応欧米のスタンダードとなったので、下士官パイロットが主体だった戦前の日本でも前線に出る戦闘機や爆撃機の隊長は必ず士官が入る。 後方部隊や輸送機はこの規定外であり米英でも准士官や下士官パイロットが多数存在する。 少尉と曹長のケンカなどは噴飯物の出鱈目です。
戦闘機パイロットは少尉以上です これは絶対です 少尉は基本的に学校を出たての戦争童貞なので、年配の曹長には経験で全く勝てません この状態で少尉が曹長に頭ごなしに命令するとトラブルを生まないわけがないので、陸軍では少尉のそばに曹長を置いて助言役とし、両者の合意の下で指揮をとることにしています これが空中戦になりますと、一瞬の判断が問われますので、少尉と曹長が話し合う暇がありません 経験不足の少尉が頭ごなしに命令するか、権限を与えられていない曹長が少尉を怒鳴りつけるか、どっちにしても問題になりますね だから空中戦参加者は少尉を最低階級とし、階級構造をすっきりさせることでトラブルを防ぐのです 日本やソ連はWW2まで下士官も空中戦に参加していましたが、お陰で小隊長である少尉と部下である曹長、軍曹が空中でケンカする事態が多発しました 戦後はどの国でも空中戦は士官だけでやってます 空中戦をやらないヘリパイロットなどは、下士官が就いている場合もあります
今の戦闘機パイロットが、全世界的に少尉以上なのは、NATO空軍、 「北大西洋条約機構」 で共同作戦をためともいえ、航空自衛隊がそうなったのは、アメリカ空軍によって編成されたためです。 第二次世界大戦前は、下士官の戦闘機パイロットも普通であり、アメリカ軍でも下士官の戦闘機パイロットがいて、チャック・イエーガーも二等兵の整備兵から戦闘機パイロットになっていますが、これは戦死者が多すぎて圧倒的に人手不足であったせいです。 まず、戦闘機パイロットになるまでの訓練時間や、訓練期間、訓練費用も、昔と今では相当に違います。 1914年に第一次世界大戦がはじまった当時は、まず戦闘機という機種自体がありませんでした。 1916年ころから、前方に機関銃を撃てる単座の 「戦闘機」 が増えてきますが、その当時の戦闘機パイロットは、偵察機や観測機のパイロットの中で、操縦が上手く、闘争心が強い人が選ばれました。 戦闘機パイロットになるための訓練というのはなく、偵察機パイロットの中からから戦闘機パイロットが選ばれたのです。 そもそも当時の戦闘機は、エンジンの馬力が100~200馬力、スピードはせいぜい時速200kmであり、練習機と戦闘機の性能の差がほとんどなかったのです。 今の軽飛行機に機関銃を装備したのが、当時の戦闘機のようなものであり、航続距離も短いため、複雑な航法の訓練も必要ありませんでした。 ドイツのエース、リヒトホーヘンなどはもともと騎兵の大尉であり、戦闘機パイロットになる前から騎兵大尉であったのです。 要するに当時は階級は関係なく、飛行機の操縦免許を持っているかどうかが選抜の基準であったのです。 帝政ドイツ第二位のエース、エルンスト・ウーデットなどは、自腹で民間の飛行学校で飛行機の操縦免許を取って、すぐに戦闘機パイロットになったのです。 つまり当時のドイツ軍では飛行機の操縦免許を持っていて、やる気があればすぐに戦闘機パイロットになれたのです。 しかし大正時代に、日本陸軍で戦闘機パイロットが始まったときはすでにフランス人の戦闘機パイロットという教官がいて、実戦を反映した空中戦の教育が行われ、 「少年飛行兵」 という制度もできましたが、これは下士官戦闘機パイロットのための制度でした。海軍の 「予科練」 も下士官戦闘機パイロットの訓練生です。 ところで第二次世界大戦後は全世界で、軍備が縮小され、戦闘機パイロットはむしろ余る状態になりました。 一方で、戦闘機はジェット化され、練習機も、初等練習機、中間練習機、高等練習機と、訓練の段階が増えました。 またさらに 「零戦」 の登場で、戦闘機の航続距離は一気に長くなり、複雑な洋上航法なども必要になり、さらには 「B-29」 のような戦略爆撃機による 「夜間爆撃」 も普通になり、さらに電波兵器、 「レーダー」 も小型化し、ついには 「空対空ミサイル」 のような誘導弾の装備も可能となり、 「全天候戦闘機」 が普通となるのです。 またさらにアメリカ空軍、NATO空軍の場合は、 「戦術核爆弾」 の搭載も標準化され、むしろ戦闘機パイロットの最優先任務は、超低空超音速飛行による 「戦術核爆撃」 となるのです。 零戦以前の戦闘機は、航続距離も短く、夜間飛行を行うことも少なく、武装は機関銃や機関砲だけで、レーダーによる誘導も一般的ではなく、つまり訓練も比較的単純であったわけです。 近距離を、昼間飛行できれば、それだけで戦闘機パイロットとしての役割をいちおう果たすことはできたのです。 しかし、NATO空軍のように 「戦術核兵器をつかった戦術核攻撃」 が、戦闘機パイロットの標準的な任務とされると、責任はいよいよ重大なものとなり、下士官では不安視されるようになるのです。 兵士や、下士官というのは当然、給料も安いわけであり、そんな安い給料では 「戦術核攻撃」 などやりたくないという話になるかもしれません。 もはや戦闘機は軽飛行機に機関銃を積んだだけのものではなく、 「戦術核兵器」 の管理が戦闘機パイロットの責務となったのです。 まず、超低空を超音速で長距離飛行すること自体が、非常に危険であり、実際に西ドイツのFー104は訓練だけで何百機も墜落し、F-104は 「未亡人製造機」 と呼ばれました。 訓練に時間がかかるとかという以前に、そもそも時間をかけても無理な訓練であったのです。時間の問題ではなかったのです。 航空自衛隊の場合は戦術核攻撃が憲法的に不可能であったために、F-104による犠牲者は逆に少なくて済みました。 しかしどっちにしてもF-104による訓練が非常に危険なことには変わりなく、日本はわざわざT-2という高等練習機を国産で開発します。 F-104の採用によって、戦闘機パイロットの訓練期間はさらに長くなったのです。 しかし一方で、F-86の時代より戦闘機の機数は減りました。価格が高価になったためです。 F-4、F-15と機体の価格、維持費はさらに高価になり、つまり訓練の時間や期間は長くなったのです。 F-86の時代は、訓練費用も今より安く、訓練期間を短くすることができたのです。 機体が高価になって、機数が減るほど、パイロットは交代、順番で訓練をする必要があり、訓練期間は逆に長くなるのです。 そうなれば選抜の基準も厳しくなり、昔のようにすぐに戦闘機パイロットになるのは難しくなるのです。 もっとも人手不足になるとまた選抜の基準が下がるという場合もあります。 昔、日本の景気が良かったときは、自衛隊の戦闘機パイロットの給料より、全日空の旅客機パイロットの方が給料がいいため、いきなりたくさんの戦闘機パイロットが航空自衛隊を辞めるという時期があったそうです。 また墜落事故が続いた後は、戦闘機パイロットの志願者が減るのも当然です。 そういうように航空自衛隊でも、時期によっては、戦闘機パイロットの志願者が非常に少ないという時期もあったそうです。 またナイキJのような大型地対空ミサイルが配備されたときは 「戦闘機不要論」 も広まり、F-104は 「最後の有人戦闘機」 と言われました。 F-4が開発されたときは 「ドッグファイト不要論」 が広まり、パイロットは後席のナビゲーターの言う通り操縦するだけでいいと言われたのです。 こういう議論が増えれば、当然戦闘機パイロットの志願者も減るのです。 必ずしも常に戦闘機パイロットがエリート扱いされているとは限らず、逆に冷遇される場合もあるのです。 たとえば現代でも 「無人機」 でいいという主張もあり、ドローンで十分などという人もいるのです。 アメリカ空軍でも、ドローンのオペレーターばかり優遇され、訓練予算が減らされているため、戦闘機パイロットの士気が下がっているとも言われ、ステルス戦闘機はドッグファイトしなくていいと言われたりもするのです。 自動化、無人化が進んでいるから、戦闘機パイロットの訓練予算を減らしてもいい、などと主張する人もいるのです。
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