>夢に溺れて現実を見ないのも狂気かも知れぬ。 >現実のみを追って 夢をもたぬのも狂気だ。 >だが一番憎むべき狂気とは、 >あるがままの人生に折り合いをつけて、 >あるべき姿のために戦わないことだ。 これは、ミュージカル「ラマンチャの男」に出てくる有名な台詞です。 私が始めてこの台詞を知ったのは、まだ若く情熱に満ちたときのことです。そんな精神状態でしたので、「あるべき姿を求めて戦おう!」と呼びかけていると解釈して、ひどく感動を覚えたものでした。しかし、あるプロジェクトに参加してほぼ完全燃焼でそれを完了したときに、今で言う「燃え尽き症候群」のようなものに陥って、何もする気が失せてしまったときにあらためてこの台詞に触れたとき、情熱に満ちていたときには気付きもしなかったことに気付いたのです。 それは、一言で言えば「ありのままの人生に折り合いをつける」ことの難しさです。 人間、とかく己に無いものを求め、「・・・・・じゃあない!」「・・・・・すべきだ!」「・・・・・こんあはずではない!」「・・・・・あらねばならない!」と考え勝ちです。そして、「あるべき姿」を見出して、それを実現すべく努力し始めるのです。 これは、一見するととても尊い考え方のように見えますし、事実この考え方が人類の進歩の礎と言っても過言ではありません。 しかし人は、この結果、ありのままの自分の姿やありのままの家族、ありのままの社会、ありのままの他人を認めることができなくなってしまうのです。 しかしこれは、ある意味しかたがないでしょう。なぜならば、「あるべき姿を追い求める」ことのほうが、「ありのままの姿を認める」ことよりも容易だからです。 考えてみてください。 なぜ人間は、己を美しく見せようとするときに化粧をするのですか? どうしてスッピンでいることを避けようとするのですか? なぜ銃や刀で武装して、己を強く見せようとするのですか? どうして言葉の武器で武装して、己を尊ぶように装うとするのですか? それは、そのほうが「ありのままの姿を認める」ことよりも容易いからなのです。 あなたは、おそらくそのことに無自覚のうちに気付いてしまったのではないでしょうか。 だから、周りに見えるすべてのものが偽りに満ちているように見え、それにあわせようとする己の偽善に満ちた意識に嫌気がさしたのかもしれません。 でも、これは人間形成にあたって重要なことです。なぜなら、「ありのままの姿」を認める究極の課題を克服する最後の問いこそが、「なぜ俺は醜い己を認めることができないのか!」という「あるべき姿を求める最後の問い」に、最も接近していることを意味しているからです。 私は、宗教者でもなければ哲学者でもありません。ごく普通のありふれた市井の人間です。 「なぜ俺は醜い己を認めることができないのか!」という「あるべき姿を求める最後の問い」に、気付きこそすれどもいまだにその答えに行き着いていない凡人に過ぎません。 しかし、この「最後の問い」に気付いたことで、どれほど気が楽になったことか! もちろん、凡人であるが故、いまだに己を着飾り、欺瞞に満ちた振る舞いに終始し、偽善に満ちた言葉を吐いて、周囲に同化せんと勤めることで、一時の安楽を追及して止みません。しかしそんな虚勢を張ることに疲れたとき、「どうして俺は醜い己を認めることができないのだろうか。」と自問しつつ、「では、真の己とは何なのか」を振り返ってみたりするときがあるのです。その思索の旅は、時としてとても辛い思いをする場合があります。なぜならば、真実の己は、合法・非合法を問わずに罪深い人間であるからです。それを己の目で見ることの辛さは、おそらくあなたもお気づきのことでしょう。 おそらく、答えなど出ないかもしれません。何も判らないまま人生は終焉を迎えるのかも知れません。しかし、それが「ありのままの人生」だとするならば、その人生を安泰に過ごそうと考えるならば「あるべき姿を求めて戦う」よりは、「ありのままの姿を認める」事のほうが答えに近づく最良の方策かもしれません。 あなたは、若くしてその端緒に立ってしまったという意味において、これから大変な思いをすることでしょう。それは、幾重にも重なった茨の道かもしれません。それを無自覚に歩むのと、自覚して歩むのとでは、おのずと手にする結果が変わることでしょう。 しかし、だからこそそれをそれとして自覚して歩みさえすれば、手にするものは、誰にも手にすることの出来ないものを得ることが出来るかもしれませんよ。 人間不信の頂点にまでいっているのなら、なおさらのことです。 あらためて自分に問い直してみてください。 「人間とは何か」 という問いを。 「あるべき姿の人間」ではなく「ありのままの姿の人間」を見つめなおしてみるために・・・・・ 暗中模索の思索活動にさまようあなたの参考になれば幸いです。
なるほど:3
私も人間不信です。それも、血縁の親、姉、会社の社員などなど・・・。 でも以前回答くれた人の言葉がとても印象的だったので引用します。嫌なことがあるたびその言葉を自分の携帯アドレスに転送し見直しています。良かったら一度読んでみてください。 引用↓ 「酔った人が電柱に対して、やけに冷えますねと挨拶しても返事がない。 人の姿をして言葉を話すゴキブリに礼儀をわきまえた人間になってと要求しても無意味。 電柱には電柱、ゴキにはゴキでしかないことを認め、自他に期待せず生きろ。」 私は、笑えるのと同時に、涙が出ました。
人に対して,期待しないこと。 期待するから裏切られるんです。 話をする相手も,よく見て選んで話すとかにしましょう。 その際,自分の話は避けるとかして,様子を見るとか。 がんばってください。
< 自分のペースで、シフト自由に働ける >
パート・アルバイト(東京都)この条件の求人をもっと見る
求人の検索結果を見る
< いつもと違うしごとも見てみませんか? >
覆面調査に関する求人(東京都)この条件の求人をもっと見る