>中世ヨーロッパの貴族はなにをして生活していたんですか? 自分の領地経営です。 賦役農民への指示や、施設の修繕、治安維持、収穫物の売買、軍事訓練などになります。 女性ですと家庭内の使用人への指示や子供や預かっている子供への教育などが担当になります。 下級貴族ですと、機織や繕い物、食事の準備、夫の武具の手入れなども仕事になります。 >パーティに招待されたりするのを映画とかでよく見ます。 中世ですと、パーティなどはほとんど行われていません。 領主の奥方主催のサロン活動はありましたが、主に女性の行うもので男性は芸人か女性の御付の者以外ほとんど参加しませんでした。 芸人も、吟遊詩人などが中心で、たまに道化の者が加わったりする程度でした。
貴族は働かないから貴族なのです。 仕事と言えば趣味の狩りと軍務くらいです。領地経営すら部下に任せてます。ちなみに中世初期はパーティーどころの話じゃなく、王様すら宮殿に住んでいません。幕府があって、幕舎に常駐していました。王がいる幕舎が王宮と言われていたのです。(日本の幕府もつまり将軍の前線陣地のことですね本来は) そのせいで中世初期の古都はどこも国境や前線、辺境にあるのです。例えばパリは海賊との最前線基地、アーヘンは東方蛮族との前線基地です。 この時代の地域間移動は聖地巡礼と軍事移動だけです。99%の市民は生まれた村を出ませんし、まともに都市は1個もありません。商業もないので流通もほぼなく、商人もない時代です。 11世紀ごろになってようやく商人の移動や物流が始まり、首都もだんだん固定されるようになりました。しかし首都と言っても王は輪番制みたいなもので、領主のうち王に選ばれた人の領土が首都になるという適当さです。なのでドイツ(帝国)では首都が一定ではなく毎回変わっていました。 このころになると、領主や騎士(後の大小貴族)はトーナメント試合か戦争試合に出て賞金を得て生活していました。弱い騎士は廃業し、強い騎士がカネをたくさん稼いでいきます。その稼ぎで土地を買い、その土地の地代を巻き上げてそれを生活費にしています。 一方で王とよしみがある連中は領主となり、たくさんの領地を得ていました。本来は伯であって、彼らは王宮大臣や辺境防衛のために王から任命された代官でしたが、勝手に世襲して勝手に軍隊を集めて勝手に法律を作っていき、いつの間にか独立独歩するようになったのです。 ※当時は王家と公爵以外、伯爵しかなかった。伯というのは王家以外の王家の部下、今風にいうと官僚、という意味。 つまり騎士だろうが貴族だろうが、領地を持っていて、領地から自動的に上がってくる地代の巻き上げ、不労所得で生きていたのです。 地主とかビル経営者みたいなものですね、なにもしなくてもお金が入ってくるわけです。そうでもないと馬や武器を買って戦争や王宮にはせ参じて戦ったり、戦争の練習なんてできません。 一般市民どもは賃金を得る必要があるし、納税の義務もあるので、休んでる暇などないのは今も同じです。社長は労働者が稼ぐものによって自ら労働者のようにパーティで交流や商談を得てくるのが仕事です。近世の貴族(中世では騎士や領主だった人々)もそうです。パーティで自己勢力を伸ばす努力をするのです。でも畑を耕したり、政治や会社経営したりしません。そんなことする暇もないし、やっても稼ぎは微々たるものです。 なお近世宮廷貴族(毎日パーティやってるようなのは近世の貴族です)は地元領地があって、そっちでちゃんと不労所得を得ていました。東京に住んでて北海道で不動産経営しているようなものです。 勝手に稼ぎがあがってきます。でも代表同士の交流は首都のほうがやりやすいので、ずっと首都の宮殿に詰めているのです。 でもずっとみんな王宮にいたら、地元領地が心配になるのでシーズンというのを設けてシーズンオフになると自分の領地に帰って過ごしました。ふつう、貴族は事業をあまりしないので、王宮に住んで領地を持たないとか、事業経営してるとか官僚やってるような貴族は下級貴族です。まともな貴族は領地の収入だけで十分です。
なるほど:1
パーティが成立するのはそうした富裕層が一箇所に集まっている場合ですよね? 例えば当時の交通事情を踏まえると、100キロ離れた親戚の館に気軽に行けるとは考えにくいです というわけで社交界的なアレができるのは近世以降の話です(例えばベルサイユのように貴族が地元から離れ都会に住むケース イギリスだとシーズン、つまり貴族や地主がロンドンなどに遊びに行く時期です そう意味ではああした晩餐会や舞踏会は貴族が衰えたからこそのものです つまり領地を失い、王の官僚や軍人、年金生活者などとして都市部で暮らすようになったわけです 日本も武士階級が力を失った結果城下町で暮らすようになり、都市文化が栄えましたよね? じゃ中世は?となると 領地の管理です 例えばイギリスでは開放耕地(オープンフィールド)が盛んでした つまり貴族は領地を農民に貸すわけですが、ずっと固定ではなく、度々そうした仕切りを外してシャッフルするわけです そうやって小作人同士の土地の当たり外れを調整するわけです また治安判事など公務員としての仕事を無給、ないし格安でやります もっともこれは当時の裁判での罰金が極めて重要な財源だったからでもあります
中世のころの貴族は領地が大きな資産でした。 例えば山林や森を所有しているとそこに生えている樹木を切って売るということも出来る。 建築にしても造船にしても家具など身近な道具にしてもだいたい木造だった時代なので樹木を持つというのはものすごい財産を持ってるようなものでした。 そして領地に住む動物を狩るのは貴族の権利。 川や湖があったらそこにいる魚も基本的には貴族の物。 なので一般の人たちが猟や漁をする時は貴族にお金を払わないといけない。 また農地も基本的には貴族の持ち物なので、小作人は土地代を支払って農業をしていました。 都市部や大きな街道があればそこを通る際に通行料を取ることが出来る。 要は領地さえあればほぼほぼ安定した収入が得られるという仕組み。 とはいえそのためには切りっぱなしじゃマズイので植林もしないとですし、農村のために治水もしなきゃいけないし道の整備もしなきゃいけない。 よその領地や国と貿易もしなきゃいけない。 商人と交渉してお互い得するような取り決めをしないといけない。 「領地経営」と「都市経営」を同時に行うビジネスマンであり政治家でもあったのです。 戦争があれば兵を集めて(だいたい農民)王のもとにはせ参じなきゃいけない。 そのための武器や鎧の整備も必要だし、戦地での飲食料を確保するための蓄えも必要だし傭兵を雇うための金も必要。 そのために産業を育てなきゃいけません。 例えばワインの製造などですね。 特産物がある領地は豊かになります。 もし戦争で負けたら結構な損失になるので大変です。 当時の戦争は負けるとだいたい敵国から金を要求されるし、捕虜を返してもらうために身代金を払わなきゃいけないしと出費もかさみます。 勝てば逆に金を要求できるんですけどね。 貴族と言っても楽ではなかったようです。
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