解決済み
10年間続けてきた仕事があるのですが、最近未来のビジョンが全く見えません。学生の頃はガムシャラでしたが、正直最近は才能の有無に心を蝕まれ、「あの人には勝てない」と比較ばかりして何も作れなくなってきました。 劣化していく作品と心を毎日感じながら、「やはりここまでここまで来たがこんなに苦しむのなら向いてないのだろう」と思いました。 しかし、もうすぐアラサーになる現在、自分の違う天職を探すのはあまりに無謀。 仕事はある程度こなせていますが、仕事と割り切るにも産みの苦しみが尋常じゃなく作っては嗚咽して作っては鬱になりを繰り返している気がする。角5年前とは格段に元気の質が劣悪になり無気力。ますます追い抜かれていく劣等感。「もう嫌だ、だけど生活面を考えるとこれより稼げる術が見つからない」と嘆いてばかりで情けなさの極みです。 向いていないけど、できるなら続けていたい。才能はなくてもクライアントがいるということは仕事はまずまず普通にできていると信じたい。 凡人がこういう状況になった時、鬱にならないためにどのように気持ちを切り替えたらいいのでしょうか。最近はやりの「愛着障害」のようなものがあって自己肯定感がそもそも育たず大人になったので「私はこれで良いのだ」と考えるのはとても難儀で頭を抱えています
わたしにとって才能は技術の有無ではなくて、その仕事に関する思い入れ、やる気、熱意を強く持ってる人のことだとおもっています。
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それは自営業や個人事業者の宿命みたいなもんですね。 おじさんは仕事は順調でお客さんは増えていますが、 なぜかふっと不安になる時があります。 冬になると軽く鬱ですね。このままでやっていけるのだろうか、と。 吹っ切れてはいないけど、この頃は、 これは誰でも通る道だと思うようにしています。 反対に何の心配もないという人は、なにか重大なリスクを見落としている可能性がある。 人間は、都合の悪い事実を直視しないという悪い癖がありますから。 不安になるのは、ありうべきリスクに対して敏感になっているということ。生物として正しい反応です。 創造性を生かす仕事だとお察ししますが、 才能にそんなに恵まれなくても、やっていける道はある。 例えば、建築デザインの世界では、 みんな自分の個性を出すことに執着するあまり、 使いでの悪い家だったり、部品を特注しなければならないことから、 修理改修にめちゃめちゃお金のかかる建物を作っちゃう場合が多い。 オリジナリティーと、実際の利便性を兼ね備えた建物を作ればいいのに、 デザインの世界はそんなものではない、という意見が多数です。 かつて料理研究家のレシピには、材料に「パプリカ半個」みたいに、じゃあ余った部分は何に使うの?みたいな実際に使えないのが多かったそうです。 そこで、冷蔵庫の余った食材でおいしい料理をつくるレシピづくりに励んで有名になった料理研究家もいます。 才能のなさを顧客目線でカバーする。こういう生き方もいいでしょう。
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