解決済み
今から15年位前は医師不足の逆で医師余りだったのでしょうか?幼い頃からの友人がご両親はサラリーマンと専業主婦の家庭ですが、父方・母方ともに祖父が医師で、両家のおじにも医師がいる家系だそうです。 その友人が今から15年くらい前に言っていたことですが、今(当時15年前)は医者余りで新しく医師になる人数を減らしている、それでも国公立出身か優秀な成績でないと就職先が見つからないことが多い、自分のいとこが私大出身で成績も良くなかったので就職先が見つからない…と。 結局関西の私大系大学病院の耳鼻科で研修医として働いていると聞きましたが、激務で薄給だとこぼしているのだと言っていました。 その当時はその話を聞いて先生もようやく就職先を見つけてもそこから大変なんだなくらいで別に何とも思わなかったのですが、それから数年して医師不足の件を報道でよく聞くようになり、「あれ、医者余りじゃなかったの?」と疑問に思いました。 たった数年でもほんの一瞬のタイミングで時代の流れが変わるときもあるかと思いますが、それにしても医師余りからそんなに急に医師不足になるのかとびっくりしました。 ちなみに友人は発達障がいがあり発言者の伝えたい内容とは少し違った自分独自で解釈したニュアンスで受け取ることが多く(推薦入学を裏口入学と言ったり)、また昔から知ったかぶりな性格なので自分で解釈した間違った情報を周囲に教えるようなことが当時から少なくありませんでした。 医師余りという話になったきっかけはあまり覚えていませんが、私といとこの方とは直接的な面識はない上に普段からいとこの方の話をしていたわけではないので、たまたま何かのきっかけでそのタイミングでいとこの方の話になりその後医師余りだという話になったのだと思います。 なお医師余りだという話を聞いたのは大体15年くらい前だったと記憶していますが、15~20年くらい前だと思います。
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そうですね。 昭和57年に新設医学部がすべて開校したあとの閣議で、医師が今後余るという予測がされ、昭和60年から定員削減が始まり、平成20年まで医学部の定員は削減していました。私がちょうどその定員削減が始まったころの受験生でしたが、バブルの絶頂と相まって医学部人気がさほどでもなく、入試はさほど難しくはなかったと思います。このころ、120人定員だった医学部がどんどん100人になっていきましたし、和歌山県立医大や横浜市立大なんかは定員60人だった覚えがあります。 医学部定員を急速に増やした=医師不足と判断しだしたのは、平成18年の新医師確保総合対策が出来てからですね。 https://www.mhlw.go.jp/topics/2006/08/dl/tp0831-1d.pdf これもよく読むと、地方での医師不足、小児科や産科の医師不足で、今と同じ医師の地域と診療科の偏在が問題になっていたと言うことで、実際は医師不足が問題になっていたわけではないですね。 私個人の感想では、医師不足と言われるようになったのは、コンビニが地方でも発達し24時間営業になりそれが当たり前になって、病院もコンビニと同じ存在、「コンビニ受診」が当たり前になってきた影響があると思います。20年前と言えば、私は政令指定都市から約60kmの人口1万の町の300床くらいの病院に勤務していましたが、多いときには1晩で30人、土日なんかは24時間で120人ほどの患者が来ていました。しかもそのうちの9割以上は、発熱や軽度の下痢などの朝まで待っていられる患者ばかりです。そして、時間外でも、地方でも、都心部と同じレベルの検査治療を要求してきていました。病院が小さいですから、そういう当直が月に2〜3回まわってくるわけです。それがいやで辞めてもっと大きな病院にいったり、開業したりする医師も多く、それにより地方の医師不足は加速したように思います。 さらに、1998年の関西医科大学研修医過労死事件があり、それが引き金で2004年に新研修医制度(今の研修医制度)が制定されました。これが影響して、研修医が今まで奴隷として、研修医として働く時の給料の安さと引き換えに、200床以下の病院で当直のアルバイトをしてお金を稼がせてもらい、その分勤務医も休めていたのですが、それがなくなり、常勤医の当直回数が増え、それが嫌で開業するなどの医師が増えることで医師不足感が増しました。 ですので、15〜20年前というのは、医師あまりから医師不足になった転換点と言えるとは思います。その原因のキーワードは、コンビニ受診、新研修医制度、医局崩壊だと個人的には思っています。
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