私もある途上国で支援活動に参加しています。ネットで時々「何か専門知識や技術がなければ海外ボランティアはできない、かえって現地の人に迷惑だ」なんて言説を見かけますが、そんなことは全くありません。日本では小学生でもボランティア活動をしています。震災ボランティアも別に震災救助のプロだけが行っているわけではありません。「普通の人たち」が何か手伝えることはないかと足を運び、それなりに評価を得ています。なぜ海外に出た時だけそんなにハードルを上げたがるのでしょうか。私が知る限り、「日本からわざわざ自分たちのことを思って来てくれてる」というだけでまず歓迎してくれます。誠実に行動しようとする限り、迷惑だなんてとんでもない話です。 もちろんその上で、日本で習得した専門知識や技術を海外での支援活動に生かすことはとても意味のあることだろうと思います。しかし途上国には様々な社会問題があり、現地事情を知れば知るほど多様な問題に直面することになります。そこでは、ある分野に特化した専門家(スペシャリスト)よりも、さまざまな分野に向き合えるゼネラリストの要素のほうが重要だとわたしは考えています。ローカルな場所にもどんどん入っていける行動力、現地の人とのコミュニケーション能力、そこに潜在的にある問題を見出す洞察力、問題の解決のためにどうすればいいか組み立てる創造性や企画力などです。専門的な知見が必要な時は、専門家に連絡を取ってアドバイスを請う、といった人脈や他者を巻き込んでいく発信力などです。もちろん一人ですべて負うのではなく、志を同じくする仲間を集めて団体としてやればいいのです。こうした支援活動では、むしろ全体のプロセスを調整するコーディネーター的な役割が何よりも重要だと私は感じています。 例えばあなたが日本で法律を勉強し、途上国の農村における小作農の極端な低賃金や待遇改善について労働法規の観点から何か取り組もうとするとき、同時に現地の人の農業技術の未熟さや灌漑設備などインフラ整備の必要性に気が付くかもしれません。ではそのたびに農学部に入り直してバイオテクノロジーを学んだり、土木工学科に入って灌漑用水路の設計を学び、社会に出て何年か経験を積んで、などとやっていると、とても時間が足りるものではなく、実践的ではありません。どうやったらそうした専門知識や技術を現地の人たちに伝え、学んでもらえるかを企画し、日本の専門家に「こんな問題がありますよ、手伝ってもらえませんか」と声をかけて協力を仰いだり、現地を案内したり通訳として橋渡し役を買って出るようなフットワークや機敏さこそが、必要になってくるとわたしは思います。 だからあなたが将来弁護士を目指すことは立派なことだと思いますが、それに関わらず海外支援活動はできます。特に法律に関わる分野で支援活動を行いたいのであればそうすればいいですが、もちろん日本での弁護士資格が他国では無効であることは理解していますよね?でも日本の様々な法律を学ぶことが他国の法整備に何か役立つでしょうし、現地の法律や法体系を一から学びながら、その国の法律家たちと協力して何か提言を行うこともできます。立法活動自体はその国の議員や立法府が行うことでしょうが、民間の立場でなにか貢献できる方法を模索してもいいでしょう。またそうした頭脳活動であれば、今の時代必ずしも現地に長期滞在する必要もなく、日本に滞在しながらインターネットで現地の人たちと議論を深めながら活動することも十分可能じゃないかなぁと想像します。
なるほど:1
途上国の田舎には警察も裁判所も無く、地元のボスが地域を仕切っていたりします。 こんなところに弁護士がいても何の役にも立たないし、下手すると地元のマフィアに狙われます。
法律とはその国の文化、歴史、その人種特有の精神性に関わってくるので、日本の法律を押し付けられたら発展途上国のほうは大きな迷惑です。 特に今の日本の法律は「悪人を愛しなさいアーメン」というキリスト教の教義に基づいた犯罪者を逃がしまくりの役に立たない法律です。そんな役に立たない法律を押し付けられたら途上国民に恨まれて対日感情が悪化するでしょう。
< 質問に関する求人 >
弁護士(東京都)この条件の求人をもっと見る
求人の検索結果を見る
< いつもと違うしごとも見てみませんか? >
覆面調査に関する求人(東京都)この条件の求人をもっと見る