解決済み
なぜ法科大学院に面接と小論文があるの? 旧司法試験受験者が どこかの法科大学院を受けたそうですが、 途中でアホらしく内心感じたそうです。でも、我慢して受けたそうです。 (難関の司法試験を受験するこのオレ様を お前らごときが面接審査なんか、するんじゃねーよ!この馬鹿! ・・・・・とその人は思ったそうです) どこでもそうですが、法科大学院に、なぜ面接と小論文があるんでしょうか? 巷の予備校では、法科大学院の合格の為に、 面接対策講座、小論文対策講座が既にあります。 この方式だと、旧司法試験の勉強でかなり勉強した人が 人相、心証が悪かった為に不合格になることもあるそうです。 頭の良い人を冷遇していいのでしょうか?
937閲覧
人相はともかく、心証が悪いのは本人の態度などに問題があったのでは? 「頭が良い」ことがすべてじゃありませんよ。特に法曹はどれも人相手の職業です。人間性も重要です。 個人的には、「(難関の司法試験を受験するこのオレ様を お前らごときが面接審査なんか、するんじゃねーよ!この馬鹿! ・・・・・とその人は思ったそうです)」 なんて考えを持つ人に弁護してほしくないし、起訴してほしくないし、判決を下してほしくもないですね。 人間として信頼も尊敬もできませんから。見下されてそうで。 難関の司法試験を受けるのはその方だけじゃないってことを分かっていないんですかね。それに、司法試験を「受ける」ことがそんなに偉いことですかね? それから、面接官はみんな大学教授または準教授でしょう。 その方よりも「頭の良さ」は上だと思います。 とにかく、法科大学院の入試の際の小論文や面接は、頭のいい人を冷遇しているわけじゃありません。 本当に頭がいいなら、他の方もおっしゃってますが、小論文や面接をこなせるでしょう。 そこで落とされるのは、勉強はできるけどどこか別のところに欠点があるか、実は頭が良くないかなんじゃないでしょうか。 既修者試験でも小論文ってあるんですね?早稲田などのように、合格してから振り分けならともかく、既修者試験では法律の試験だと思っていました。
なるほど:2
僭越ながら世間で人間関係の法の関係に携わるには、頭の良い事にプラス人間性が大変重要視されます。従って情操的や思想的に偏向していると幾ら頭が良くてもアンバランスな人間として選択されます。試験制度はおしなべて共通的な事をします。人には多種な考え方や見方があります。失礼ながら面接行為が不満な人はその様な所を受験しなければ良いだけの事です。大学には然るべき面接試験の重要性を主張のポリシーがあると思います。(極端な例では幾ら頭が良くても精神構造が異常な人も珍らしくない時世です)。以上の様な点から大所から人をアバウトなテストをする事もあります。マクロもミクロも対応出来る幅の有る考えで理解されたら良いと思いますが如何でしょうか・・・。
頭が良ければ面接と論文に受かればいいだけの事。 しかし、23年までは旧司法試験も存続するはず。 なぜ、旧司法試験で受けない?
< 自分のペースで、シフト自由に働ける >
パート・アルバイト(東京都)この条件の求人をもっと見る
求人の検索結果を見る
< いつもと違うしごとも見てみませんか? >
覆面調査に関する求人(東京都)この条件の求人をもっと見る