東京大学の存在意義を考えてみると、どのような人間をエリートと呼ぶべきかは自ずとはっきりしてきます。 ①国家公務員になること。官僚になること。 ②最高裁判所の裁判官になること。弁護士や公認会計士であれば、有名企業の顧問契約を幾つも持っているような企業形態の事務所を経営する立場になること。 ③政治家、病院経営者、企業経営者などの跡取り息子が東大卒業後親の地盤を受け継いで無事に代替わりを果たす。 だいたい、こういうパターンのどれかということになるんじゃないでしょうか。その意味で言うと、林修も茂木健一郎もエリートではありません。 両者の経歴を調べてみたんですが、 先ず、林修。東大出身後、日本長期信用銀行に就職しています。東大出の就職先としてはあまりパッとしない雰囲気ですが、東大出身者が銀行、証券会社などに就職した場合、MOF担になるのが通常のパターンらしいです。要するに、東大出身という看板をフル活用して財務省の東大出身官僚の接待係になり、情報を収集したり、様々な案件の交渉係を務めたりする仕事です。 非常に重要な仕事ですから、落ちこぼれの仕事ではありません。でも、しょせんは接待係ですから、エリートの仕事でもありません。同じ東大出身者が接待する側とされる側に分かれる訳ですから、精神的には相当屈辱的な仕事だと思います。 で、半年で銀行を辞めて様々な仕事を転々とする。ギャンブルなどにも手を染めていたようで、この頃の林修は明らかに落ちこぼれでした。 で、予備校講師になる。予備校講師は基本的にアルバイトです。古文の荻野文子が一コマ(90分)の授業の時給10万円越えという話もありましたが、それは予備校バブル時代の話です。少子高齢化の現在で、贅沢を言わなければどこかの大学に入れる今の時代、予備校の時給はそんなに高くないでしょう。 で、ワタナベエンターテインメントに所属してタレント業も始める。美人の女性タレントといつも顔を合わせていられる点は羨ましがられるでしょうが、社会的地位は東大出身者のランクとしてそんなに高くありません。予備校のコマが減ったり、出演番組が減ったりして、再び落ちこぼれ集団に転落する危機は常にあります。 一方の茂木健一郎ですが、 東大出身者が色々な意味で政界を牛耳っていることは、東大出身の学者の足かせのようなものです。 つまり、現体制を批判するような研究は難しいということですね。東大の学者=御用学者というイメージがありますが、やはりそういう不自由さはあると思います。 となると、東大の学者もエリートとは呼びにくいですね。学会の中で、東大の研究者が地方の国公立や私学の教授、准教授に横滑りというルートはあるかと思いますが、東大の中で言うなら、せっかく東大までいってなんで学者なんだというイメージはあるんじゃないでしょうか。ある意味、落ちこぼれスレスレくらいの評価なんではないでしょうか。 茂木健一郎の経歴を見ていくと、そういった逡巡が見えてきます。東京大学理学部を卒業してから、法学部に入りなおしている。理学部に入って作ったキャリアを一度リセットしようとしているんですね。しかも、法学部卒業後、今度は理学部の大学院に進学する。つまり、もう一度、法学部でのキャリアをリセットします。 で、博士号を取得する。理系の出身者なら分かると思いますが、理系の学部の大学院で博士号を取るというのは大きな意味があります。 理系の学生の場合、学士の資格で就職は難しいと言われています。知識が中途半端過ぎて即戦力にならないと判断されるのです。修士号を取って初めて、企業の求める人材と認められるのですが、博士号まで行くと逆に就職が難しくなります。研究者色が強くなりすぎて、企業では使いにくいと思われるんですね。 つまり、博士課程まで進学したということは、この時点で企業への就職は考えないと決めたと、そう判断できるのですね。 その後、ケンブリッジ大学生理学研究所研究員になったりして今はソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員というのが最終的な肩書のようです。東京工業大学大学院客員助教授、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘教授というのもあるようですが、総じての印象は背骨がしっかりしていない人だなという感覚ですね。研究一筋に生きて来た人というより、あちこちフラフラしながらモラトリアム人生を維持し続けてきた人という印象があります。 落ちこぼれではないかもしれませんが、非常にあやういところで生きている感じがありますね。
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