解決済み
失敗を受け入れる事と良しとしない事について ご無沙汰しております。 別の方の回答で「失敗を恐れない」事に関して言及されておられたので、改めてお聞きしたくなりました。ちょうど聞いてみようかと考えておりました。 以前、貴方から「失敗しないやり方を考えなくてはいけない。」と教わった事がありました。 しかし、やはり生身の人間は失敗をしてしまう事があり、失敗を積み重ねないと成長できないと思います。 だから恐れずにどんどん失敗して行けば良い、そんな風に思う事もあります。 しかし貴方が言われる様に、何でもかんでも勝手に失敗していけば、取り返しのつかない事になる可能性もあります、特に子育てをしていれば富に思います。 不用意に失敗してしまい、まかり間違えば子供に怪我をさせてしまうかも知れない、命にかかわる問題になるかも知れない、それを思うとぞっとして背筋が凍る思いです。 失敗と言うものへの認識をどう受け止めて考えれば良いのか、少し迷っています。 まず聞いて頂きたいのは、「失敗する事は良い事だ」と言う認識が、私の中にはあると思います。 「失敗はしてしまうものだ」、「失敗はしてよいものだ」、「失敗が主人公(笑)」なんて中高生の頃教わった様な記憶がありますが・・・この認識自体を改めないといけない様に思えて来ました。 まず、失敗は許されない事だと厳しく考えるべきでしょうか、そして失敗しない方法を考える、万が一失敗があれば、それを更に方法へと反映していく。 ありきたりですが、これでやっていくしかないのでしょうか? 申し訳ありませんが教えて下さい、よろしくお願い致します。
質問を書いていてはっきりして来たのですが、 私はやはり失敗する事は良いものだと言う認識があると思います。 と言うか、すんなり行ってしまう事がつまらない、失敗をしてそこから何か展開していかないとつまらない。 そんな認識が何につけてもあると思います。
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まあ、まだ質問者さんの中で、自分が一生懸命に頑張りたいという心がある、ということですね(笑)。 補足ではなく、自分で最後の結論で書いていることが正しいんですよ。つまり、絶対に失敗しないように構築し、それでも失敗したらそれを即座に受け入れて反省し、次の構築に生かす、という。 「失敗を恐れるな」という言葉の意味は、失敗してもいいなんてことであるわけがない。当たり前ですよね。 失敗を恐れて何もしないことはダメだ、という意味です。 だからと言って、自分勝手にやってもダメに決まっている。現代人は自分勝手を認めてしまっているから、この言葉をまた自分の都合がいいように受け取っているんです。 失敗がいいわけがない。その大前提があるんですよ。その上での言葉だから、そこに矛盾が生ずるわけです。その矛盾を深く考える人間にならなければいけない。 矛盾することなんか、この世には幾らでもあるんです。しかし実際には、その矛盾こそが重要なんですよ。だから人にものを教えようとする人間は、矛盾を提示しなければいけない。 子育てだってそうなんですよ。一面的な正しさしか教えなければ、子供は必ず歪んでしまう。だってこの世は矛盾だらけなんですから。それにぶつかって歪むんです。 だから子育ては矛盾が絶対に必要なんですね。 そして、子供が矛盾がおかしいと言った瞬間に殴ればいいんです(笑)。そうすると深く考える人間になる。 失敗に関しても同じなんです。失敗はとにかく叱らなければいけません。しかし失敗の仕方というものがあるんですね。 叱るという行為は、自分の感情の始末ではないんです。子供に如何にわからせるか、ということですから。 だから「許す」ということで終わるわけですね。 じゃあ、どうしたら許すのか、ということが叱り方のポイントになる。 失敗の原因を受け入れて反省すれば、そこで許すことが出来る。罰を与えてそれが終わればまた許すことが出来る。子供を殴って気絶したら、そこで許す、ということも出来るんです。まあ、罰の終了と同じですね。 受け入れさせるには、自分が何をしたのか、何が間違っていたのかを明確にさせることですが、まあ三歳以前は無理ですからね(笑)。三歳までは思い切り可愛がってやることです。 失敗は、けりを付けられれば許すものなんですよ。だから人間にはけじめが重要だ、ということなんです。
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