解決済み
私は、元中学教員で、現在は塾講師です。 中学教員時代の嫌な出来事が、未だに頭から離れません。幼少期を過ごした地元のT県で中学教師やってたのですが、もう実家への帰省以外ではT県には帰るのが嫌になってしまいました。今は、お隣のS県で塾講師をやっていて、おかげさまで今は毎日楽しく充実した日々を送らせていただいています。T県の友人・知人とは完全に縁を切りたいです。もうT県で生活は出来ないでしょう。どこで、人に見られているか分からないですから。にも関わらず、一部の友人が、「またいつか地元に帰ってきたらどう?」と、言ってきて、うざい限りです(怒)。 夏が近づけば、3年前の夏に自分だけ担当部活なしで職員室で一人事務作業させられたり、農園の水やりをやらされた日々を思い出し、秋が近づけば、10月5日の無念の年度途中退職を思い出しという感じです。過去2度の夏秋は嫌でも、思い出しました。これは、一生続くのではと思います。 部活は、剣道部やってましたが、生徒とのコミュニケーション不全、私が生徒を大切にしなかったこと、私の剣道への不熱心さが原因で、保護者・生徒から校長に「○○先生を剣道部担当から外してくれ」と訴えがあったことで、担当を下されました。 年頃で生意気な生徒に腹を立てて感情的になり、大きい声出して女子生徒を威圧して泣かしたり、「お前なんか帰れ!」と怒鳴りつけたり、ムカついて自分の筆箱投げつけたこともありました。もっと生徒を大切にすれば良かったのです。今更悔やんでも、あの夏はもう返ってきません。 退職原因は、特別支援学級の授業中に2度目の居眠りをしたこと、同僚教員と言いあいになってムカついて資料をびりびりに破いて投げつけたことで、校長も堪忍袋の緒を切らして、「お前は傷病休暇とって休んでろ」と言われたことです。もう、職場に私の居場所は完全に無くなっていたのです。 今は楽しく塾で授業したり、生徒といろんな話をできています。でも、仕事終わって帰る途中に、ふと思い出したり、(教員時代に)合唱コンクールで歌った曲を聴くだけで、当時が鮮明に蘇ります。 当時、私が接していた生徒はもう高校生や大学生になってます。学校にも知っている先生はほとんど居なくなってしまいました。私だけが、時の流れに置いて行かれているのです。 皆さん、こういう時、どうしてますか?
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あなたは中学校の先生には向いていなかっただけです。 人には向き不向きがあるんですよ。 塾も中学校の先生も共に教育者ですが、勉強だけ教えていれば良い塾と、生活指導もしなければならない中学校の先生とは方向性が全然違います… 過去を振り返っても仕方ありません。今を生きましょう。あなたはふざけている人間が許せないストイックな性格なんですから、そんなストイックさにお金を払っても学ばせたい親には必ず受け入れられます。 今を大切に生きていればその内「あんなこともあったな」と思えますよ~
あなたは、「今は毎日楽しく充実」と書いておられます。 それだけで、十分ではありませんか? 昔も、今も、両方とも不具合なら、それは悲惨でしょう。 しかし、現在が幸せなら、それで良いではありませんか? 嫌な思い出は、時間が経てば、自然に忘れていくものです。 全ては、時間が解決してくれます。 あなたの幸福を、祈ります。
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誰も人間は不完全です。過去の誤を何時までも引きずっても何も進歩はしません。過去は過去として未来に希望と夢を抱き進みましょう。誰にも程度に差はあれ欠点や他人に話をしたくない事もあります。然一点に留まらず自分を磨く人は10~30年後には素晴らしく進歩もする人もいます。それが人間の生き様です。昔の未熟な悪い事だけを何時まで引きずらず、これからの未来にむけてを互いに頑張りましょう。人間独りは「弱い葦である」と哲人のパスカルは言っています。最後に人生の旅道は良い道連れですから、気にする事は在りません。N・H・Kの大河ドラマではありませんが、セワーナイですよ。
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