解決済み
ダイバシティーに対する日本おける解釈について 私は外資系に勤めている会社員ですが、「ダイバシティー推進」がもっぱら会社が一番推進している懸案です。しかし、実状としては女性の優遇にしか見えないのが現状です。 日本でのダイバシティー=多様性というのは性別でしか示すことができないのでしょうか?くしくも現在国策として女性の管理職率を高める政策がなされているのは承知ですし、本当にそういった立場や役職にふさわしい方であれば何も問題はないと思っております。 具体的な事例として、人望の厚いまたエースとして日々営業所を引っ張っているAさん(仮にでうすが)がいる中で中途で入ってきて正直大した仕事もできないのに上にごますりばかりして同僚の評価は著しく低いBさん(女性)が管理職へ昇進しようとしてます。 この事実に対してどう解釈すればいいのでしょうか? 私自身はいかに変化に対応できるか?ダーウィンの進化論ではないですが、「変化に対応するものが制する」をモットーとしております。 どなたかコメントをいただけますと幸いです。
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外資系で働いた後、今アメリカで働いています。 多様性というのは、性別の多様性ももちろんですが評価軸の多様性もあります。 外資系で働いておられるならよくご存じでしょうが、プレーヤーと管理職との評価軸は全く違うものです。優秀なプレーヤーが管理職に自動的に昇進するのではなく、管理のプロフェッショナルが管理職になるのです。管理職に空きが出た場合、もちろん内部の優秀なプレーヤーも後任の候補にはなるでしょうが、外部から応募する管理のプロフェッショナルも全く同等の条件で競争に参加することになります。 また、外資系では転職は当たり前のことです。会社の体制もそれを前提として出来ており、管理職に求められるスキルセットは日系企業と比べればかなりポータブルなものでしょう。つまり、内部候補のアドバンテージはさして大きくないうえに、他企業ですでに管理職、あるいはそれに近い経験を有していればその方が有利となることは十分に考えられます。実際、私の歴代上司のほとんどは外部から採用された人たちでした。 あなたが挙げる例を解釈すれば、これは多様性の問題でも何でもなく、AさんがBさんとの競争に負けただけ。そして、管理職を評価する基準はAさんの同僚がAさんやBさんを評価する基準とは違うということですね。 ゲームのルールを理解しないで参加して、ルールがおかしいと文句をいう人は沢山います。サッカーの試合なのに野球のルールで参加しようとしているようなものですね。そりゃ、野球がいくらうまくたって試合には勝てないですよ。本当に上司にゴマをすれば昇進できるルールなら、そのようにしてみればいいんですよ。会社は正しいことをするためにあるんじゃないです。しかもゴマをすることが正しくないことだとも言い切れいないし。
なるほど:2
実際の状況がどうかは分かりませんが、Aさんの仕事能力よりもBさんのコミュニケーション能力が高く評価されているということではないでしょうか。 多様性というのはそういうことでもあるかと思います。 私が働いている職場では、障碍者(身体、聴覚、視力)の人もわりと多く働いています。これも多様性推進の一環だと思います。
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