解決済み
昔、労働は貧乏人のすることだったんですか?昔、といっても明治くらいのことですが、 ちゃんとした家には女中さんや小間使いがいて、 父親の職業はお金を稼ぐためというより、 軍人や法律関係者、医者、実業家、官僚など 社会的に地位のある人たちばかりだったそうです。 つまり現代で言う「サラリーマン」はいなかったといいます。 社会的に地位の高い層と、肉体労働者の二極化。 第二次大戦前のイギリスもそんな感じだったようです。 これって本当ですか? そういう社会がまたやってきますか?
階級社会ということだと思います。 その方が世の中安定してた気がするんですが。 誰もかれも医者になりたがって競争してどうすんでしょうか?
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わたしの祖母は地方の大きなカバン店の娘で、小学校の時学校で一番早く舶来のレースのブラウスを着たそうです。明治末期〜大正初期の話です。カバン店の当時の客といえば、社会的地位の高い人ばかりだったのでしょう、祖母は帝大出の医者と結婚しました。 東京に出て開業し、戦後しばらくまでは主に富裕層相手の病院経営は順風満帆でした。祖母の家はもちろんわたしの両親も親戚もお手伝いさんを複数使っていました。経営家と看護婦、病院の雑用の人、上下関係はハッキリとあり、子供にも敬語で接していました。それが当たり前だったのです。 しかし会社化することはせず、そうこうするうちに皆保険制度が発足。旧い家族経営体質から抜けだせなかった病院は、数十年かけてジリ貧になって行きました。 わたしの実感として、人間はどうしても成功に慢心してしまい、自己変革は大変なことなのでそれを嫌がる。しかし時代の波は個人に無関係に押し寄せ、どれほど裕福でもそこに胡座をかいた個人は押し流されるものだということです。もう医者はかつてのような特権意識でやっていては、患者=顧客を掴めません。医者もサービス産業だという意識を持ってないと、われこそは特権階級でございなんてやってこれたのは、20世紀で完全に終わったと思っています。今病院は、一族と無縁の人がやって繁盛していますが、病院の特色をキャッチコピーでハッキリ打ち出している点、終末期医療に重点を置いてる点が、それまでの院長とは全く違うのです。時代感覚>>>>階級です。今の院長は東大出でもなく特にエリート医師ではないと思いますが、時代感覚を持って努力する人の方が価値がある時代になったのです。 日本の明治から現在までの流れを素人目で見ても思うことは、日本は黒船襲来〜冷戦終了に続くバブル崩壊までは一括りに出来、未だ前近代国家だったということです。科学技術は素晴らしく、手先が器用で勤勉で、日清日露戦争に勝ってその後慢心、第二次大戦で惨敗したもののアメリカの庇護を受けて軍事費を経済成長に回せた運の要素が大きく経済大国にのし上がった。 質問者さんもそうなのではと思うのですが、今生きてる多くの日本人はついついそんな安定してツキに恵まれた日本しか知らないので、国によりかかり、社会>>>>>>>>個人という価値観に固まりがちですが、特にこれからの日本では、そんなではどれほど社会は安定しようと、それに寄りかかって這い上がろうとしない個人は使い捨てられ生きがいを感じない一生になると思います。階級低くて結構なんですが、それと国のお世話になればイイ、は違うと思います。 長くなっちゃってすみません。
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