解決済み
おかあさん方に質問です。私はバイオリンの先生をしています。 他にできることがないからなんですが… 私は、小さいころからバイオリンを習っていましたが、プロになれるほど上手でもなく、(姉はヨーロッパで演奏活動中です)他にできることもなく、仕方なしに教える道にはいりました。 ずっと、バイオリンを習っていることで、親にお金がない、お金がないと愚痴をこぼされてきました。 だから、私は自分の生徒には同じような思いをさせたくないのです。 できるだけ、安くのレッスン料:(月4回45分で8千円です。生徒の都合で休んでも振り替えます。)で、子供たちがバイオリンをきらいにならないように、しかることなくレッスンしています。 上手な子に育てたいとは思いません。 しかし、お母さんたちの中にはコンクールなどに参加させたいという方がいます。 みなさんは、バイオリンに何を望んでいるのでしょうか?? 子供をプロにさせたいのでしょうか?? 私には先生をしている資格がないのではないかと、悩み続ける日々です。 教えるからには、上手になるよう厳しく教えるべきでしょうか?? まあ、私以上に上手になるように教えることは不可能ですが…
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これと同趣旨の質問ですね。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1372916013 私はヴァイオリンを習わせているおかあさんではありませんが、回答します。 ヴァイオリンの先生に資格なんて要りません。要るのは生徒です。 親御さん達は自分が出来なかった夢を子供に託しているのだと思います。 現実には、音楽的才能はある程度遺伝します。親に音楽的素養が全くなく、また、音痴である場合、子供に才能がある可能性はほとんどありません。ヴァイオリンが弾けるようになる可能性もほとんどありません。そんな親に限って、自分の子供に「才能がある」なんて思ってしまいます。 だからこそ、「お母さんたちの中にはコンクールなどに参加させたいという方」がいます。でも、よくご存じの通り、無駄です。 ヴァイオリンの先生は、一種のサービス業なので、「顧客満足度」を高める事が必要です。ほとんどの親は、子供がヴァイオリンを上手に弾ける事が満足度の指標ではなく、「よい(東京藝大卒の)先生に習っている」・「コンクールで入賞した」・「値段の高い楽器を持っている」とかいう、目に見えるモノを求めます。実は、レッスン代なんてあんまり関係ない様に思います。 そんな中でヴァイオリンの先生をしたいのなら、ひたすら、それぞれのお客様に対して「顧客満足度」を上げる事だけを考えるべきでしょう。 厳しくせずに、コンクールを受けさせたら良いと思います。 ///////////////// s_5656_wさんの過去質問回答を読んだ限り、ストレスをあまり受けない方が良さそうです。厳しく教えるのは、厳しく教えられるのと同様に、強いストレスになります。優しく優しく教えましょう。
楽器を教えてもらうということは、当然上手になりたいからそうするわけで、「上手な子に育てたいとは思いません」というのは、バイオリン教室の任務放棄・責任放棄、教育の放棄だと思います。バイオリン教室の存在理由は、バイオリンの技術を高めること意外になにがあるのでしょう。技術が高まるから音楽も好きになるのです。個々の子どもの現状を分析し、いかに技術を身につけさせるかを研究し、それぞれの子どもにとってもっともふさわしい方法を発明する。こういう努力をするからこそ、お金をいただいて、教育のプロとして営業ができるのではないでしょうか。 「上手になるよう厳しく教える」ということばには、数多くの誤解があるように思います。 まず、「厳しく教える」ということを、子ども本人の都合も気持ち・感情も考えないで、「叱って教える」、「大人の都合を押し付ける」ことと同意だと考えていませんか。 一般的に、教育における「厳しさ」を大人の都合を押しつけているだけの、子どもの発達段階を顧みず課題・義務を課すだけの教育方法、「おとなのわがまま」をおしつけ、それが子どもに受け入れられないと叱る、懲罰をあたえるもの、と理解されているように思います。 だから、「子どもの権利」の主張や、「ほめて育てる」という考え方を「甘い」と受け取られる傾向があるように見受けられます。「子どもに寄り添う」という教育論も「子どもを甘やかす」ものと誤解されるのでしょう。 子どもと親が友達関係になっているといわれる現在の日本において、大人と子どもの関係の考え方が、「甘やかせる」、か「押しつける」、「押さえつける」かの両極端に分解しており、子どもの権利を理解し、「寄り添いつつ」育てる力づよい教育の考え方が、いまだ、育ってきていないようです。 親も子どもも、ほとんどの場合、プロにしたい、プロになりたいと思っているわけではありません。しかし、バイオリン教室のドアをたたいた以上、上手になりたいと思っているのです。そうはいっても、言うように稽古してきてくれない、何度言っても課題が克服できない。しかしこれは、指導の拙劣さに問題があるのであって、責任は指導者にあるのです。指導における厳しさは、指導者自身が自分を問い詰めるものであって、責任を子どもに転嫁してはならないのです。そもそも子どもを叱らなければならない状況は、すでに、指導方法の破綻を示しているのではないでしょうか。 大人の世代も、厳しく教育するということのイメージが、スポーツ根性ものの域を出ていません。じっさい、自分たち自身が、叱られ、たたかれ、育てられてきました。しかし教育の厳しさは、もっと別のところにあるべきです。 叱るのは、教育の負けです。 子ども自身がうまくなりたいという思いを強烈に持ち、泣きながらでも、指から血を流しながらでも、「私、がんばる」という子どもを育てたい、と思います。 教育における厳しさとは、指導者自身の自己点検の厳しさであり、子ども自身の自分を鍛えたいという厳しい思いであるべきです。
なるほど:2
すいません、私の娘はバイオリンではなく、ピアノなのですが 恐らく似た様な話と思いますので回答させて頂きます。 娘に求めているのは「やるのであれば、真剣に取り組んでもらいたい」です。 その過程でコンクールなども興味を持つならば参加してもらいたいです。 娘がやる気がないのであれば、別にやらせるつもりはありませんし まして、プロなど考えた事もありません。(間違えかも知れませんが、まだ考える時期でもないと思ってます) 親としては、夢中になって練習してくれれば本望です。 中途半端(教室は行くけど家では練習しない等)だけが、一番嫌です。 なので、私が先生に望む事は娘がもっと音楽を好きになってくれる事です。 それでも興味が薄れてくるようでしたら、止めさせます。ちなみに上手下手は一切問いません。
なるほど:3
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