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私の母は昭和3年生まれで看護婦でした。今年の正月に、どこで看護婦の資格を得たのか尋ねたところ 岡山県玉野市にある由良病…

私の母は昭和3年生まれで看護婦でした。今年の正月に、どこで看護婦の資格を得たのか尋ねたところ 岡山県玉野市にある由良病院で昔は看護婦養成所があり、そこを卒業したというのですが、今は由良病院は ありますが看護婦養成所など聞いたことがないのですが、どなたかご存知ありませんか?

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回答(4件)

  • ベストアンサー

    お母様が受けた看護教育は戦前中後にまたがる、看護師制度の激変の時期であり、とても貴重なものと思います。 由良病院には現在附属看護学校がないのですね?以前は看護婦養成所を持っていたけれど、経営的な面から廃校にしたり、他の学校に吸収されたりということはあります。詳細が知りたい場合、由良病院の広報などを担当している事務の方に、病院の沿革について知りたいと連絡をお取りになったらいかがでしょう。場合によっては、同窓生の方などにお話しを聞ける場合もありますよ。 昭和3年のお生まれということは、昭和20年の終戦時に17歳ということですね。看護学校に行っていたのは戦前ということでよろしいでしょうか? 昭和前期における看護教育は設置主体で分けると、日本赤十字社、医科大学、病院、医師会(のちの准看護学校へ移行したものが多い)、派出看護婦会(戦後はGHQによって全廃)の5つが主流です。内務省令看護婦規則に定められた検定試験をパスするために通う学校と、地方長官の指定校で卒業すれば無試験で免許が得られる学校がありました。お母様の学校は、後者に属する、病院立の学校であると思われます。 病院立の学校は、その病院で働く看護婦(当時の呼び方で「婦」とします)を自前で養成するための学校です。入学資格は高等小学校卒業以上で、修業年限は2まはた3年です。昭和16年の厚生省の調査では、全国に153か所の病院立養成所があります。ちょうどお母様が通われていたころに近いのではないでしょうか? 入学資格は、前述の日本赤十字社、一部の医科大学は高等女学校第2学年以上、ちょっと別枠である聖路加女子専門学校は中学校卒、高等女学校卒で中等学校卒となっており、これらの入学者は人数も少なく、当時の女子教育の状況の中では別格でした。 お母様が学んだ病院立の場合も、小学校を卒業した後に更に2年以上の学校に行かせるというのは、当時としては大変なことだったと思います。学費はあまりかからなかったかもしれませんが、それでも何がしかのお金は必要であり、また早く一人前の働き手になることを期待される当時の一般家庭からすれば、かなりご理解のあるご両親であり、それだけの余裕はあったのだと思います。 学生生活が戦中にかかっている可能性もありますが、安全に教育を受けるのも大変だったのではないでしょうか? また、日赤や陸軍病院の看護婦でなければ、戦地に行く機会はなかったでしょうから(自ら志願していれば行ったかもしれませんが)、命拾いしましたね。 戦後は保健師助産師看護師法が制定され、新法下で国家試験が始まったため、それまでの免許を持っていた方々には混乱があったとも聞いています。 もしももっと歴史的な詳細が知りたければ、次のような本が参考になるかと思います。借りて御覧になってください。 『資料にみる日本看護教育史』 看護の科学社 出版 monday0862さんのご回答を得て以下編集しました。 三井病院がお母様の養成所であるとするならば・・・ 昭和29年に医師会に移管されるまでの三井病院時代は、「准看護学校」とはなっていても、実態は上記に記述した病院立の看護婦養成所(今で言ういわゆる正看護師の学校)だと思います。なぜなら、戦前には准看護学校はないからです。現在の准看護師教育は昭和26年から開始されました。戦前にも「准看護婦」はいたのですが、同じ名前でも現在の准看護師とは全然違うものでした。当時、看護婦免許受給は18歳以上という年齢規定があり、高等小学校卒後2年の看護婦教育を受け(この段階で最短で16歳)、18歳になるまでの間、履歴審査で病院の医師が認めた者を「准看護婦」として病院で助手的に働かせていました。ですから准看護婦の教育機関は無く、「看護婦予備軍」の人のことだったのです。 おそらく戦後医師会に移管したときに准看護学校にしたので、HPには移管前も同じに書いたのかもしれません。戦後~移管する昭和29年までの間、三井はもしかしたら養成を中止していた可能性もあります。そうすると、お母様の免許が准看護師の場合、由良病院で勤務しながら医師会の准看護学校に通うなら、27歳~ということになります。 こうして見ると、いかに日本の看護師の教育が複雑なのかがわかりますね。振り返るよい機会をいただいて感謝いたします。 いずれにしても、お母様によくお聞きになった方がいいですね。

    なるほど:2

  • 玉野市医師会のHPです http://www.okayama.med.or.jp/tamano/shoukai/index.html これによると、玉野市にあった三井病院で昭和12年から昭和29年まで准看護婦教育が行われていました。 昭和29年以後は医師会立の養成所が、あったみたいです。 この時期に免許を取られたなら、由良病院に勤めながら、養成所で勉強したということでしょう。 立派なお母様ですね。

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  • 昭和(戦前)の時代 ほとんどの市民は小学校卒業でした。県に数校ある中学(今の高校に当たる)に行けるのはよほどの頭の良い子か お金持ち。女の子でお金持ちの子が女学校(高校と同等)へ 大学に行けるのは ほんのごく1部の人たち。 養成施設は 今で言うと 准看護師学校だと思います。ただこの准看にしても 優秀な子しかいけなかったと思います。廃校になっていないなら 正看護師の学校へ 変更しているのかも知れません。伝統のある学校の前身を調べてみるとわかるかもしれません。

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  • 岡山県の看護大学・学校一覧・・。 旭川荘厚生専門学院 岡山済生会看護専門学校 岡山赤十字看護専門学校 岡山労災看護専門学校 倉敷看護専門学校 倉敷中央看護専門学校 (国)岡山医療センター附属岡山看護学校 順正高等看護専門学校 聖華看護専門学校 ソワニエ看護専門学校 玉野総合医療専門学校 津山中央看護専門学校 玉野総合医療専門学校 岡山大学 岡山県立大学 川崎医療福祉大学 吉備国際大学 山陽学園大学 新見公立大学 正看護師ですか?准看護師ではないですか?

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