解決済み
なぜ人を殺してはいけないのですか?千葉県の教採の面接で問われたそうです。なんという答えが求められるのでしょうか?自分なりに考えてみたのですが、うまく言葉でまとめられません。どなたか教えてください。
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なぜ、人は、豚や牛は殺して食べているのに、人は殺してはいけないのでしょうか? 同じ生き物なのに、何故人間同士はいけないのでしょうか? さて、なぜでしょう。 まず、殺す以前の問題として、人間は、小さい時から、道徳感を教えられます。親であったり、テレビであったり、学校であったり。 いろいろな所で学びます。そして、そこから自然と「いけない事」「やってはいけない事」として身に付きます。 では、この道徳感とはなんでしょう? それは、世の中のルールであったり、モラルであったりします。 常日頃、なぜ殺しちゃいけないのかなんて、考える事はないと思います。 また、急に聞かれても、おそらくほとんどの人は「傷つく事をしては駄目だから。いけない事だから。」と思うでしょう。 そうです。 潜在意識の中にもきちんとこの道徳感を占めていて、教育の中で、「一線」を学びます。おそらく、生きとし、生けるもの中で、この事を考えるのは「人間」だけでしょう。 そして、その「一線」を越えた場合、当然法の名のもとに罰せられます。 極論ですが、小さい時から「排除すべき理由があったら、殺してでも、現状を維持すべし」という教育が国単位で行われていたとします。その場合「なぜ」はないでしょう。 数年前までは、日本も「戦争」という名の下、人の殺しあいは一般的に行われていました。 なぜか? 「理由」があったからです。他国侵略や、国を守るという、「思想教育での統一」がされていたからに他なりません。 「お国のためのもと」です また、歴史をさかのぼっても、戦国時代を含め、殺し合いは山ほどありました。 その時に生きた人間ではないですが、いくら大義名分を掲げて、殺し合いをしたとしても、後に残るのは、虚無感であったり、残された者の恨みは、復讐となり、残っていたと思います。実際、「弔い合戦」なんて言葉があるわけですから。 人は生まれながらに、感情を持ち、成長すれば、それは、行動にもできます。 そして、心理的なものは、「個」が集まれば、「群集」として動く事も出来ます。 感情は、もし、あるがままで、野放にしされていれば、とてつもないものになるでしょう。 そして、「殺し」は「殺し合い」にもなります。 その為に道徳心、ルール、一線を持ち合わせる訳です。 ですが、先にも述べましたが、感情や思想は意図的にコントロールもできたりします。 この点、もし大きな国単位で行われていたら…どうなるか。それは、もうわかるはずです。 「殺してはいけない」その背景には、こういった理由があると考えます。 普段当たり前の事ほど、考えると、答えは出てこないですよね。 この記載も、教職の面接に即しての私自身の一意見として見て下さい。参考までに。
なるほど:1
「“自分がされて嫌なことは他人にもやってはいけない”のなら“じゃあ自分を殺してほしいと思っている人”は、他人を殺してもいいの?」という疑問が残ります。 (誤解してほしくはないのですが、他の方の意見を否定したいのではなく、あくまでも私自信自問自答した結果として思った感想です。) どんな根拠を提示しても、「ならこういう場合はどうなの?」という疑問が残るでしょう。 だから絶対的な正解があるとは思いません。 私なら相手によって答えを変えます。 基本的に「自分がされて嫌なことは他人にもしちゃいけない」で片付けますが、前述したように「じゃあ自分を殺して欲しいと思っている人は~」と考えそうな人であれば、「じゃあ何で人を殺していいの?その根拠は何?」と逆に問いかけ、徹底的に議論をします。 「殺してはいけない」という根拠はいくらでもありますが、「殺してもいい」という納得できる根拠はまずありません。 論理的に言えば、「“人を殺しちゃいけない”という根拠が無いからといって、“人を殺してもいい”ということにはならない」となりますから、あくまでも“人を殺していい理由”がなければ人を殺していいことにはならないのです。 ただ、はっきり言ってそんな論理的な答えを本当に求めているのか?という疑問も残ります。 教師ならそんな「なぜ人を殺してはいけないの?」と思ってしまうような教育をしてはいけない。 例え怒鳴り、叩いてでも「人を傷つけるようなまねは絶対にしてはいけない」と教え込まなくてはいけないのではないか? あくまでも私の意見であり、私の意見が相手の求める正解とは思いませんが、私ならそう考えます。
自分がされて嫌なことは他人にしてはいけないからです。
私の考えは…、 まず人間は当たり前ですが、みんな同じ人間なので平等ですよね。 だからみんな同じ権利(自由権や幸福追求権など)を持っています。平等だから他人の権利を侵害してはいけない。殺人は他人の権利を奪うからだめなのです。そういう理屈で秩序と個人の尊厳を守っているのです。 では仮に秩序を乱す者(犯罪者)が出たらどうするか。個人がそれを処罰すると秩序はなくなります。だからみんで法をつくり違反したものには国家などのみが刑を執行するのです。 もちろん殺人が許されているのは社会だけです(死刑)。近代社会は自力救済を禁じ、刑は社会のみが行うものとしました。だから例え誰かにどんなに嫌な目にあわされたり、財産を取られたからといって殺人をしてはいけないのです。
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