解決済み
医師、看護師に質問です。患者の「死」に立ち会う事も数々あると思います。そのような場に立ち会う時、何を考えますか?また助産師の場合、新しい生命を取り出す時、何を考えますか?
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はいですの。 一度だけ死に立ち会ったことがあるですの。しかも1年目のときに。 その人は出合ったときには既に人工呼吸器をされていて、言葉での意思疎通が十分にできない状態だったですの。しかも手はミトンの抑制帯をされ、透析などもされていたですの。 かなりの苦痛があるだろうと頻回に体位変換に心がけたり吸引で痰を頻回に引いたり、できる限り多く訪室し非言語的なコミュニケーションもできるだけ図ったですの。 しかし、死に遭遇すると、なんともいえない虚無感に襲われるですの。 死の直前まで行為としては最善を尽くさないといけないので感情をコントロールしないといけないのですの。 手技、頭の回転を速めるためには、何も考えないで冷静に行動しなければいけないのですの。 ACLSのアルゴリズムなどを。 しかし、絶対的に人間が超えることができない壁が「死」ですの。 心の弱さか心のやさしさからか、 壁を無意識に遠ざけて、再生医療の繰り返し人体パーツ交換などの科学技術に期待するですの。 神がいるならなぜ人間に痛みを与えるのかを問いたいですの。身体的な痛みだけでなくトータルペインを。 それなのに神のみ使いの精霊達に不思議な力を与えているのをみると、それを使いたがるのは当然の心理・権利だと思うですの。 すでに電磁気の精霊とか原子の精霊とか分子の精霊とか捕獲したですの。 こいつらの力を利用した人体への生物学的応用への期待をするのですの。ただしそれを研究し開発するのはボクの勤めではないのですの。 技術者は、それらに期待し、ただ手を動かすのみですの。
何も考えません。 みなさん余裕ありますね。 助産師ですが、胎児を取り上げるときは産道が破れないようにとか、がんばれと思うくらいです。主人は医師ですが彼はもっと考えないようです。 仕事ですから・・・ ただ亡くなった後に考えますね。 あれで良かったのかと。亡くなる瞬間の事ではなくその人自身の尊厳を保った人生を過ごす事ができたのか、それにそくした援助ができたのかは考えますし反省します すみません リアルで。
なるほど:2
死に立ち会う場合、いつも思うことは、私ができることはなかったのだろうか・・・と言うことです。 いつも、もっとできることがあったんじゃないか・・・と落ち込みます。
臨終の時は、入院されてからの過程を思い出したり、よく頑張りましたね。もうすぐ、しんどい思いから解放されますからね。と心の中で話しかけます。生まれる瞬間は、私は手術室にいた事があり、帝王切開の場面が思い浮かびますが、おめでとうございます。と患者さんに直接言える、唯一の手術じゃないかな?神聖な感じがしますよ。臨終の場面は家族の方の悲しみに直面するので、いつも言葉かけには悩みますね。私はつい涙ぐんでしまいますね。職業人としては、ダメなんでしょうけどね。
なるほど:2
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