解決済み
昔の話で良いのならお答えします。 非常勤講師や支援員を勤めていました。 ・25才くらいに小学校で週に3日、中学校で2日勤めてました。翌年は支援員として小学校に5日勤務していました。 ・非常勤講師だった頃は、授業の始まる1時間前には勤務校に到着して、授業準備をしてました。授業が3コマあったので、3コマの授業を行った後 すぐに帰宅していました。基本的に授業のある時間割に合わせてるといった感じです。都合で休まないといけない時は事前に教務に相談すると、大体は都合をつけてくれます。ただし、お手当てがその分引かれてしまうことがありました。 ・支援員だった頃は8:30〜17:00までの勤務でした。朝の見守りがあった日は、朝7:00には出勤していました。特に休まないといけない用事はなかったですが、年休は15日ほど貰っていました。 ・小中学とも土日はお休みです。ただし、体育祭などで土曜に出勤する時もありました。その代わりの代休はいただいてました。 ・長期休暇中はもちろんお休みでした。非常勤講師のときは採用試験の勉強とか、採用試験に臨んでました。また任意ですけど県や市町村主催の教員研修にも参加させてもらったことがあります。 ・非常勤講師のときは大体月に16〜17万の収入で、手取りで14〜15万ほどでした。健康保険とか年金、住民税は自分で払っていましたのでもっと手取りは減ったと思います。夏休みは手当てが発生しないのでお給料はありませんでした。やり繰りが大変でしたね。 ・支援員のときは手取りで13〜14万ほどでした。 給食費とか諸々の支払いがあったのできつかったですね。常勤だったので夏休み関係なく勤務したので、安定してお金をもらっていました。 ・自分は僻地で勤務していたので、職場環境がアットホームな感じでした。引け目を感じたことはないですね。ただ正規教員になるために色々と頑張ってた様子を見てくれてて、色々な方々から良くしてもらっていたので、感謝しながら仕事をしていました。 ・自分は就職氷河期の時代で就職したくても採用して貰えなかったからですかね。何とかしないと日々の生活もやっていけないし、年金も貰えなくなってしまうって焦りがあったから、非常勤講師とか支援員をやってました。正規雇用のために勉強を頑張ってたつもりでしたけど、結局公立で正規を目指すのは挫折してしまって、今は私学で正規として働いています。悔いはありません。
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