解決済み
国立大学の法学部の1年生です。 今から司法試験の勉強をして将来は弁護士になりたいと思っています。 しかし最近聞くところによると、弁護士の仕事はAIに取られてしまうとのことです。司法試験の勉強をしても意味は無いのでしょうか??
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弁護士業務を書類作成を行う業務と、顧客や法廷で対面で行う業務にわけると前者の書類作成についてはそう時間をおかずにAIまで行かなくても多くの業務が既に弁護士は最終確認する程度になっています。未だ紙にこだわる日本の裁判所が対面業務にまで認めるのはいったいいつになることやらという状態です。 その意味でAIにとって変わる前にオフコンさえ導入されるのは何十年先でしょうかね。 その意味で意味はあると思います。頑張ってください。
東ロボくん ジンギュラテイ ターミネーター 銀河鉄道999 機械人間 宇宙戦艦ヤマトに出てくる機械人間 マトリックス チャット gpt https://magazine.tr.mufg.jp/90529 たぶんa iが人間を超えると時は、999にでてくる機械人間 にいる戦争競争社会 ターミネーターみたないな戦争社会になってるかもしれませんね https://biz-journal.jp/2020/09/post_181632_2.html * コラム * 脳とコンピューター 最近の認知科学の発展により、脳は情報処理機関としてとらえられるようになってきました。それにともない、同じ情報処理機関としての脳とコンピューターとの異同も議論されるようになりました。コンピューターにも意識はあるのか、もしあるとすれば、それは人間と同じような意識なのか、それともそれとは異なる意識なのかも、これからの研究課題となってくることでしょう。 そうしたことに関連して、ヘーゲルは『現象学』において、人間の意識は、意識から自己意識へ、自己意識から理性へと、真理を求めて発展することを論じています。では、そもそもなぜ人間は真理を求めるのでしょうか。それは脳のはたらきと関係があるのでしょうか。 哲学は英語で「フィロソフィー」といいます。フィロソフィーはギリシア語の「フィロソフィア」に由来するものであり、「フィロ」とは「愛する」、「ソフィア」とは「知」を意味していますから、哲学とは「知を愛する」学問ということができます。 ソクラテスは、その哲学によって青年たちを惑わし、神を信じなかったという理由で告訴され、裁判を受けますが、その法廷で「わたしの息のつづくかぎり、わたしにそれができるかぎり、決して知を愛し求めること(哲学)を止めないだろう」(プラトン全集①八三ページ、岩波書店)として、死刑の判決を受け入れるのです。 こうしてみると、人間はコンピューターとは異なり、知を愛すること、つまり真理を求め愛する存在であるということができると思われます。ではなぜ人間が知を愛し、真理を求めるのかを、脳科学の観点から考えてみると、脳とコンピューターとの違いに起因しているように思われます。 脳もコンピューターもどちらも情報処理のシステムですが、決定的に違うのは、コンピューターが与えられたプログラムに従って情報を処理し、出力することを目的とするシステムであるのに対し、脳は出力することをつうじてコンピューターのプログラムに相当する「情報処理のアルゴリズム(処理方法)」(〇〇〇『愛は脳を活性化する』五ページ、岩波書店)を獲得、強化することを目的としているシステムということができます。 いわば脳とコンピューターとでは目的と手段とが逆になっており、脳では情報処理の仕組み(ネットワーク)の形成が目的であって、出力はその手段であるにすぎないのに対し、コンピューターは、出力を目的として、情報処理の仕組みを手段としているのです。 脳は、経験をつうじて記憶を質・量ともに発展させ、記憶された情報のうち、使用に耐えうるものを知識に変化させ、蓄積させていきます。記憶自体も「外部から取り入れた情報がそのまま保持されているものではない」(〇 〇〇〇編著『認知心理学』一〇六ページ)のであり、ましてや記憶を知識に変えるには「主体による記憶情報や現実世界に対する積極的な働きかけが必要である」(同)と考えられています。すなわち「記憶や知識は外部から受け身的に入ってくるものではなく、記憶主体が自ら積極的に作り上げていくものである」(同)との考えが、一般的なものとされています。こうした知識をつかって「思考(考えること)」がおこなわれます。思考とは、入力された新しい情報が提起した「何らかの問題を解決する」(同一四九ページ)ことを意味していますが、「思考の本質は推論」(同一五六ページ)にあります。こうして脳は「感じる」「知る」「考える」「創造する」というすべての機能をつうじて新しい問題を解決することにより、主体的により発展した神経細胞のネットワーク(アルゴリズム)をつくりあげていくのです。 このように脳は出力することによって、脳の情報処理の仕組みを発展させますので、知を求め、真理を探究することは、脳にとって神経細胞のネットワークをより発展させる作業であり、脳はその作業を「快または善」として受けとめます。脳は、新しく知ること、真理を探究することによって自らの情報処理能力を発展させることから、こうした作業をすることを「快または善」として受けとめるのです。ソクラテスが哲学することを止められないと言ったのも、それが最も人間らしい心の働きだからということができそうです。 http://takamuratetugaku.org/013/013_text.html 数年前のお話 いまや巷間にはAI(人工知能)解説書があふれかえっているところから、県労学協も、雑誌「経済」の編集長だった△△△△氏を招いて、「21世紀資本主義とAIの時代」と題する記念講演を実施した。 ここに紹介するのは、人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」のプロジェクトディレクター・〇〇〇〇氏の「AIと教科書が読めない子どもたち」(◆◆経済新報社)である。2001年に出発した東ロボくんは、7年経過して有名私立大学に合格できるほど「成長」して、労働力として私たちのライバルになる可能性が高くなってきた。しかし〇〇氏は、それでも東大に合格する日は来ないだろうという。 何故なら、AIは、コンピューター、つまり計算機であり、数式に置き換えることのできない、人間の脳がもつ「読解力」をもたないから、AIは、人間に取って代わることはできないというのである。そうなれば、AIに多くの仕事を代替されても、AIに代替されない「読解力」をもつ新たな労働需要が生まれるはずだから、余剰労働力はそちらに吸収され、引き続き経済は成長することになるかもしれない。 しかし〇〇氏は、そうはならないという。〇〇氏が独自に開発した、中高生の「読解力」調査によると、日本の中高生の「読解力」は、AIなみでしかない。となれば、AIで対処できない新しい仕事は、多くの人間にとっても苦手な仕事となる。このまま推移すれば、AIに仕事を奪われない労働市場は深刻な人手不足に陥っているのに対し、AIに仕事を奪われた失業者や最低賃金の仕事をする人々が巷間にあふれることになる。東ロボくんに取り組んできた〇〇氏の問題提起は、改めてAI問題の大きさと広がりを教えると同時に、△△氏の「資本主義という社会のありかた」を問い直した講演も踏まえ、私たちも、真剣にAI問題を含む社会変革に取り組まねばならないことを示している。
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