解決済み
日本での看護師養成の歴史は1890年にまで遡ります。 そのために昭和1ケタ、つまり、昭和初期の看護婦養成は、もうシステムとしてかなり完成されており、看護婦となるための基礎資格は、高等女学校卒業者(今の高等学校卒業者。といっても5年制であるため、今の女子中高一貫校卒業者に相当する)、3年間の修業年限と定め、各地の日本赤十字社病院(今の各地の日本赤十字病院)内の養成所でされていました。この養成所は、国などに認可された正規の看護学校ではありませんでしたが、ここを出なければ看護婦となることができないのシステムはもうしっかり完成されており、実質的に今とそう変わらないシステムでされていました。 大体、基礎資格を得るための高等女学校への進学が難しく(今のいわゆる難関中高一貫校進学、中学受験に相当していた。今とおよそ変わらず、概ね、各小学校の各学級の女子のトップの成績の1人がやっと合格する程度であった)、当時からもう看護婦になるのは相当に難しかったのです。 ここで戦争、看護婦が多数必要になり、基礎資格が高等小学校(今の一般の中学校)卒業の女子に引き下げ、2年間の修業年限とされました。しかしこれは「乙種看護婦」と呼ばれる戦時下の特別な養成であり、従来の看護婦養成は修業年限を2年半に短縮しただけで続けられました。この「乙種看護婦」が新設されたことにより、従来の養成を受けた看護婦は「甲種看護婦」となり、いわゆる格上の看護婦となりました。なお、乙種看護婦の養成は終戦とともに制度廃止、終了しています。 詳しくはこちらをどうぞ。 https://www.jrc.or.jp/medical-and-welfare/nurse/history/
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