解決済み
使えない人間であることを受け入れられない 26歳、今年で社会人5年目になります。現在の部署で2箇所目になりますが、向き不向き以前に、何をしても出来が悪い人が世の中にいること、そしてそれが自分であることを痛感しています。 社会人になってから経験した2つの部署、社会人になる前にした3つのアルバイト、いずれも人より飲み込みが悪く、仕事を覚える過程で必ずイライラされ嫌われてきました。 地頭が悪く処理能力も低いため「なんでこの仕事にそんなに時間がかかるの?」とどこに行っても言われてきました。 今まではそれをサービス残業や家への持ち帰りでカバーしていましたが、こんな人生が馬鹿らしくて死にたい気持ちでいます。 自分なりに仕事方法や感情面など、仕事面に影響しそうな要因にアプローチをしたのですが、頑張って頑張って人並みの少し下。 これまでのことを思うとと転職が解決に結びつくとは考えにくく「使えない人間」として生きていくしかないのだと感じています。 でも、どうしても使えない人間である自分を受け入れることができません。だから消えて全てを終わらせたいのです。 ちなみに、病院に行きましたが発達障害ではありませんでした。 使える人間になりたいのに、使えない人間として生まれてしまった場合、どうすれば良いと思いますか。
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まだ、足掻き足りてない気はしますので、もう少し他の方向性を探ってみたらどうでしょうか。 その経験された二つの部署と3つのアルバイトは、幅広い業種に渡っているでしょうか? それらが似たような業務なら、その業務に対する不向きが明らかなだけで、他の業務についての適正は不明ですよ。 過去に自分は、施設に夜間常駐の警備員のアルバイトをやったことがありますが、要求されるのは、定期的にきちんと施設内を巡回すること、許可された仮眠時間以外は起きて待機すること、がもとめられることであって、いわゆる要領の良さなどは、求められるものではありませんでした。 質問者さん、この警備のバイトも自分には無理だと思いますか? もちろん、どんな仕事でも良い、というわけではないでしょうから、仕事は選ぶべきとは思います。 だから、自分の興味の持てそうな方面で、自分にはなさそうな能力を問われないものを探して、もう少し挑戦してみることではないでしょうか?
複数の共同体に所属すること。 要は仕事や職場を自分の魂の中心や自分という人間のフィールドの全てにしてはいけない。 何でもいいので趣味や仕事以外での共同体との関わりを持つことです。複数のフィールドに生き、世界が広がればその職場においての「使えない自分」も自分の全てではなく、あくまでそれも自分の一部と捉えるようになります。「まあ俺はそういうとこもあるよな。」と。 資本主義に浸った日本では金を稼ぐ事がすべて、仕事がすべて、人生や魂の中心にしがちです。 しかし仕事は所詮人間ふぜいが作った社会構造の中で生きるために必要に迫られてやるもの。趣味や遊びは純粋に「それをしたいからする」という魂から芽生えるもの。 趣味や遊びこそ元来人間の魂の中心に据えるべきな、神が作りし要素なのです。 「人間とは〈ホモ・ルーデンス〉=元来遊びに生きる人である。(ヨハン・ホイジンガ)」
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