自己の内面を磨くにあたって、人見知り傾向だからもっと幅広いものの考え方を身につけたい、そういうテーマであるわけですよね。でもそのことと人との交流とに、特別に密なつながりというかセオリーの関係は出来上がっていましょうか。 「人と関わらなければ成長できない、内面が磨けない」と思い込まれていたら、その内面磨きはごく一部分、一要素でしか図っていけないことになります。 一例を挙げましょうか。 たとえば質問者さんが電車やバスに乗っていて、目の前でハンカチか何か落として下車しかけている人がいるとします。 …質問者さんはその落とし物を即座に手にして、当の落とし主に呼びかけながら手渡すだけの機敏さに自信がおありでしょうか。 「人とよく関わっている」人でも、こういう動きがまるで出来ない人は出来ないんです。でも、その人が人とよく関わっている日常であるなら、内面は良く磨けていることになるでしょうか(苦笑) 人見知りな傾向をどう改善していくかがテーマのひとつなのなら、それは「社会的な勇気や度胸をつけること」にかかっているのではないですか。 文化センターなどでよく置いてあるチラシに無料講演会系のものも含まれますが、そういうのに足しげく通ってインプットに努める形で内面を磨いても、どうアウトプットさせればいいかでなく、アウトプットそのものの勇気や度胸がなければ自信はつかず、自信がつかないままでは内面は磨けても「見た目は一緒でしかない」のですね。 アイドルグループがダンスパフォーマンスを練習する際、振付はその道のプロの振付師が指導していきますが、みんな最初から教えられた通りを上手にできるわけなく、振付師は各自の上手くやれない動きを指摘するとき、それを「失敗」だと自覚させながら修正させていくのが指導ですよね。 本番段階でない練習だからみんなが失敗し、しかも本番でないからあらゆる失敗が許されるんです。そこを質問者さんは、人との交流は勉強ではあるが「本番」だと捉えて失敗せずに内面磨きを図る場だと考えるから、それで内面磨きのシチュエーション選び自体が雲をつかむように訳が分からなくなるんです。 違うでしょ? 誰がみたって本番と思う人生一世一代に大事な場面以外、人は絶えず練習の過程として失敗していきながら、その失敗を反省材料に勇気と度胸を培って、そういう洗練された部分を他人が見たら「内面の磨けている人」だと評することになるんです。 以上をもって、「特別な場に出向かないと内面は磨けない」イメージを取り払いましょう。肝心なのは「失敗を怖がらずに何でも学習と思う気持ち」と「勇気・度胸の発揮」、このことです…
「内面を磨きたい」ための行動が「多くの人と交流したい」ですか? 今から? 卒業まで残り半年ですが、そんな出会いがそう簡単に起こると? >>今後はもっと幅広い物の考え方を身に付けたい もっともらしく聞こえますが、それ、本当にあなたのために成るのか、 どうも違うように思えます。 そもそも22歳かそこらで内面が磨けている訳がないです。 磨けてなくて当たり前。経験が少なくて当たり前。 「こういうように磨いていきたい」という方向性があれば十分です。 そしてそれはお持ちのように思えます。 これまで限定的な人間関係だったことを気にされているようですが、 社会通念に照らして問題がある価値観、考えならともかく、今から その人たちと距離を置くのがいいこととは思えません。 今から他の人と交流する、とは、そういうことなんですよ? 社会に出れば嫌でも他人と関わります。学生時代とは完全に違います。 あなたと考えを共にしてくれる人はゼロなところからスタートです。 どんな考えに接しても、単純な拒絶は許されません。 一度は受け止めて咀嚼することが要求されるのが社会人です。 受け入れられるのもは受け入れ、無理なものは傍らに置く。 同時に自分の考え、価値観も他人にぶつけなければなりません。 そういたとこの結果が「磨かれた」となるのでしょうか。 慌てる必要はないです。 よろしく。
1人行動したことありますか? わたしは20歳の時1人バーに行ってみて、そこのマスターに言われたことが自分にとって心にずっと残っています。 自分の興味のある場所に、ぜひ行動的になって行ってみてください。 内面を磨くため、わたしはずっとノートに自分の気持ちを書くことをやっています。
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