解決済み
人生と仕事について… 現在25歳無職です。 頑張るのが辛いです。 生きてくのは辛いです。 甘えてばかりで、逃げています。 高校卒業して専門学校入学間もなく中退してアルバイトばかりしてました。 就職したくないです。 二十歳の頃中途採用を頂き就職した事もあるのですが、出来の悪い私を職場の先輩方は教育をしていたのかもしれませんが、きつい言葉使いや罵声、朝早く夜遅くまで残業 円形脱毛症と顔の痙攣が酷くなってしまい、もう無理っと思って試用期間が終わる手前辞めてしまいました。 その後転職しましたが、自分には出来ないっと思い会社に向かう足が止まってしまい、数日で辞めてしまいました。 今は一人暮らし、派遣やアルバイトを転々としていて食いつないでますがどこの職場でも早く就職しないと一生就職できないと言われたり、今が頑張り時と言われ、ごもっともですが耳が痛くアルバイトでいるのも辛いです。 その日の仕事の事や就職や将来の事などが頭を巡って中々寝れなく寝不足です。 20代後半にもなって職歴もないですし 今後このまま職歴無しではもう雇ってくれる所が無くなってしまう不安もありますが正直もう就職するのが怖いです。 安定した収入は魅力的ですし親も安心するだろうと思いますが、就職するのが怖いです。 どこいっても勤まらない気がします。 いざ就職となると吐きそうです。 悲しむ親の顔を思うと死ねないですが、色々な事が頭を駆け巡り寝れなくてお酒買いにコンビニやスーパーまで散歩する事があるのですが、ふらっと車道に飛び出してしまおうかなっと思う時があります。 どうしたら良いのか、どう生きたら良いのでしょうか。
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25歳なら、まだまだ人生やり直しが出来ます。 自分自身、何か身に付けると言いますか「技(技能)」を持つことで、自信も付いてくると思いますよ。 私は、25歳手前までは、新卒で勤めた会社を辞めた後、結婚式場、パチスロ店、工場作業員、日雇いの引越作業員、中華料理店、レンタルショップ等を転々していました。フリーターです。 しかし、ある日、バイト仲間から簿記というものを聞いて知り、「会社が儲かったのか、損したのか分かる」ことに、面白いなと感じて、簿記の勉強をしたところから、人生も大きく変わって行きました。 それまでは、これと言って取り柄もなければ、資格も運転免許くらいしか持っていませんでした。 市販の書籍で勉強して6月に日商簿記3級と全経簿記2級を受けて、その後の11月に日商簿記2級と全経簿記1級の資格を取り、ハロワで求人募集していた税理士事務所へ見習いとして入りました。 「やってみたい」と思った仕事に就いたわけです。 税理士事務所に入ったのちに、建設業経理士2級という簿記資格も取りました。 しかし、一人暮らしのアパート代も払えないくらいお金に困り、やっぱりお金は大事、「お金が無いと何も出来ない」と強く感じて、市販の書籍で今度は宅建(宅地建物取引士)の受験勉強を始め、10月に合格して、税理士事務所は1年で辞めて、大手の不動産会社へ転職しました。 このように、簿記に興味を持ったことから、25歳手間から26歳の間で、とにかく「学ぶ」ということと「何かしらの技」を身に付けることが出来ました。 今度は、やりたいことよりもお金のことを考えて働いたのですが、不動産営業マンのノルマはキツく、6年半勤めましたが体調を崩してしまい、退職してとうとう地元へ帰って来ました。「学び」は管理業務主任者という国家資格や損害保険募集人資格等を取って学ぶことも続けていました。 田舎街へ帰ってきましたら、まともな仕事など無く、そこで、またハロワで地元でも優良企業と言われている今勤めている会社の3交代の作業員の募集を見つけて、面接を受けましたら、経理の仕事はどうですか?と問われて、経理職兼総務職となりました。 従業員1,500名程の規模の物流企業です。 芸(技)は身を助けると言いますか、簿記資格を持っていたことや短期間でも税理士事務所で会計の仕事をしていたこと、そして宅建を取って不動産営業をしていたことが評価されました。入社後にそう聞きましたよ。 ただし、1年8ヵ月間は、3ヵ月更新の契約社員でした。 なかなか事務職で正社員にはしてくれませんでした。 そこで、再度頑張って、税理士試験科目の簿記論・財務諸表論を取り、勤めて1年後に会社側から取得するように指示された運行管理者(貨物)と第一種衛生管理者 の2つの国家資格を取って、ようやく事務系正社員になりました。 勤めて7年になります。ようやく、所得もそこそこの収入(総支給額ですが月32万円程)が貰えて、安定した職場で働くことが出来ています。 仕事も、日々は経理実務や財務分析を行い報告書を書いたり、宅建資格も持っているということで借上社宅の手配や貸倉庫の賃貸借契約書を作成したり、損保資格を持っていることで車両や倉庫、事務所の各種保険の更新手続きを行っています。また、衛生管理者の資格は地元の労働基準監督署に会社側が有資格者として届け出ているので、安全会議への出席や社内安全監査にも同行するということもしています。 このように、25歳手前まではバイトも転々として、何にも、何の技も持っていなかった私が、今はこうして事務系職種で働けています。 私が目覚めたときと同じ25歳のあなたも、まだまだこれからですよ。 ただ、自分は何がしたいのか、何を求めているのか、安定が欲しいのならどうしたらよいのか、どの道を選ぶのか(私は簿記から始まりました)等を今一度考えることが大事だと思います。 しかし、考えてばかりでは前へと進むことが出来ませんので、行動はしないといけません。 私は、元々私がやれば出来る者だったなどとは思っていません。しかし、これからどうしよう、そう生きて行こうかと思いつつ、流された日々を送っていた時に、簿記と出会い、そこで必死に勉強したことで今があると思っています。 休みの日には図書館へ行き、居眠りしながらも簿記の勉強をしました。 はじめは、面倒くさいなぁ、眠たくなる・・・、難しいし分からない、などと思いながら学びましたよ。 シャーペンで足をチクチク刺しながら居眠りと戦っていました。 だいたい、簿記と初めて聞いたとき「ボキ?」ボキって何?という状況で、漢字すら浮かばなかった私です。しかも、商業高校を出ている人なら18歳から知っているものなのに、私は知りませんでした。 やはり、焦りを感じたり不安に思うのは、1つは気づき始めたということで良いことではあります。そこでどうする、どう動くかですね。 2つめは、「自分に自信がない」「自信を持ってこれなら出来る(出来そう)という、仕事に絡む何かを持っていない(今時点では取り柄が無い)」というところから、自信も持てなかったり、いつもどこかで不安を感じているという状況になるのだと思いますよ。 これらを解消するためには、やはりある程度の妥協と納得、そして、あとは必死さと努力しかないと思います。 やればできますって。私は誰でも必死になればある程度(技を持ち、自信も持つことが出来る)のところまで進めるものだと思っています。 社会を生きて行くための「何か」ですが、これは人それぞれです。 (自分は)何を身につけるか、そこを見つけ出さないといけませんね。 世知辛い世の中で、普通に生きて行くだけでも大変な時代です。ですが、25歳ならまだ大丈夫。何かしら、社会(仕事)で使えるもので興味を持てるものから探してみてはいかがでしょうか。
なるほど:9
俺も金があれば仕事辞めたいです。 ついでに、人生もやめたいです。 仕事の人間関係がなくなればかなり楽になるのにと常々思います。 >どうしたら良いのか、どう生きたら良いのでしょうか。 世のなかの人間たちはすごく厳しい嫌な人たちばかりです。 嫌なことから逃げれたら、逃げたほうがいいです。 自分の身の安全を第一に、仕事にしたって遊ぶにしたって 出来ることがあればそこから始めるといいと思います。
なるほど:2
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