例えそれがどんなものであっても、他の人に迷惑さえかけなければ、自分のスタイル・主張をハッキリ持っている人は大変素晴らしいと思います。「自分の好きなものをはっきりと持っていると言う事は、それが何であろうと素晴らしい事だ」とバレリーナになろうとして、周りと違うことを不安に思っている少年に対して、そう探偵が言うロバート・B・パーカーのハードボイルド小説がありました。 そのような人を奇人・変人よばわりする人は自分で気づいている事は多くないと思いますが、自分のアイデンティティがなく、不安定でしょうがないコンプレックスを持っていると思います。或いはその人の価値観は「人と同じ」「皆と同じ」「世間並み」が絶対である人と思います。自分と同じ人間はこの世に一人としていないのに、そのような考えを持つ事自体、ものすごく不安定で常に周りばかり見て、周りの価値観に左右され、可哀相と思います。でも、自分の価値観を周りの意見によって決めている人は意外と多いですよ。だから、周りの多数の価値観に従わず、自分なりのスタイルを持っている人の事を変わり者呼ばわりして、自分が自分の個性が無い事を無意識のうちに正しいと思おうとするのではないかと思っています。そのような人はどんなに虚勢を張っていても、常に周りの人の顔色ばかりを窺う「臆病者」と呼んでも良いかもしれません。 日本もそうだと思いますが、多様な個性を受け入れられない社会はまだ成熟していない(それに気づいていないので厄介なのですが..)のではないでしょうか。一例で、話は飛躍しますが、日本は「相対評価(人と比較してどうか)」がまかり通っているのもその証拠ではないかと思っています。日本の学校教育が、まだ未成長の子供に対して、その子供同士を相対評価をするのはそもそも馬鹿げている、評価者の未熟さを典型的にあらわしている証左とも思います。
単に他者と少し違うとかいうことであれば悪いとは思いません。 でも「人の迷惑になってない」というのを自分で勝手に決め付けるのは 自分の価値観を人に押し付けていることと同じで 人と違うことを悪いことと捉えることと変わりありません。 また、自分が所属してる社会(会社、学校、国など)の決まりを無視するのは 単なるわがままだと思います。
個性的はともかく、奇人変人は褒め言葉にはなりませんね。みんなに合わせた方がいい場合もあります。まあ人に迷惑かけないならいいとは思います。「私変わってるから」と突っ走りすぎると、個性的から奇人変人に変わる気がします。
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