解決済み
ESの「今まで夢中になったこと」の内容に趣味って書いてもいいんですか?現在私は3年生でインターンを申し込もうと思っています。上の質問をパッと考えたときに私の夢中になったことが遊びしかないということに気が付きました。 ゲームをするのに夢中だった(ただし人並み以下)、とか所謂らくがきするのに夢中だった(ただし人並み以下)とかでも自分の成長やこれらをするにあたってこういうところが好きだ、というのが書けていればそれでいいんですかね? 大学ではサークルはやっていないしバイトも『夢中』にはなっていない。 高校では部活動をやっていたけれど漫研とかいうあまり世間体に好ましくないものなので困ってます。 お早めの回答お待ちしてます。
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こんばんは。 ただの遊びから、○○を学んだ、と書いても、ヘリクツのように見えると思います。Eテレとかで、文化人が遊びから学ぶ、と深い思考の中から導き出した、発想とはかなりかけ離れているように思うのです。 夢中になったこと、これって、何のために聞いているのでしょうかね?無意味に聞いているのか、人柄を知りたいのか、なんでしょうか? 私は、情熱的にチャレンジしたことは何でしょうか?そういう意図で聞いている、ようにも思うのですが、いきすぎでしょうか? マンガのサークルでも、他人と協力して、意見を出し合って、よりよいものを作成している、それが、面白い事であり、他人と協働し、新しいモノを作りだす、これって、面白い、夢中なんです!、でも、いいと思いますけど。 マンガは、読んでれば面白い、ひとりだって、読める。けれど、なんらか、交流を求めて、情報の行き来、発信、制作、多少なりとも、メリットを感じて、属していると思うのです。さみしいから、そうかもしれませんが、共感してもらう、ことに喜びを探し、仲間を増やしたいのではないか、とも思います。 マンガを通じて、社会を知る、世界を知る、他のルールを感じ取る、そういうのって、面白いんです、マンガも言葉を絵に置き換えただけの、素晴らしい情報ツールであることを感じ、絵・イラスト・マンガ、それらの可能性の広がりに関心を持っている、とか、ないのでしょうか? マンガ、アニメ、インターネット、これらはつながっていて、読みて側は、いろいろなことに振り回されていたり、一方で、伝達手段の多様さ、鑑賞の仕方の差異になんらか、想いを持っているかもしれない。そういう、作品、創造物の作り手と、受け手の関係性、とか、面白いと思うのですけど。売りたいもの、ほしいモノ、の関係性とか、比較すると、面白いと思うのです。物的な存在のない情報が、行ったり来たりして、お金の行き来が生じている。スペースのいらない、倉庫を必要としないものが、売れている。日本にはスペースもなく、資源もなく、食品の自給率も低かったりする、何を資源として、お金を得るのか? マンケン、だって、社会の事を知る、面白いサークルだと思いますけど。
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