解決済み
人は、なりたかったがなれなかった職業を、どう思うことが多いのでしょうか?小学生の頃に大人になったらなりたかった職業でも、新卒時に志望したが就けなった職業でもいいです。勤務先や職種等でも構いません。職業人が今実際に就いている職業は、職業人になる以前に目指していた(またはなりたかった)職業とは異なることも多いと思います。 そこで、皆様に、「なりたかったがなれなかった職業」へのイメージをお伺いしたいと思います。 その対象ですが、子供の頃に大人になったらしたかった職業(よく作文等で書くもの。ちなみに、ショービジネス関係や、宇宙飛行士・科学者等の科学系(SF的?)、スポーツ選手等が多い。女の子では、これに加え、客室乗務員・看護師等のある種の対人的な職業やファッション関係・菓子職人等「女の子の憧れらしい」職業が多い)でもいいです。 新卒時(大卒の方々なら大学生の時期に)志望していたが、新卒採用時に不採用だったり募集していなかったり、あるいはなるに必要な資格試験等に合格できなかった例でもいいです。 その間の時期の挫折でもいいです。例えば、その職に就くのに役立つ大学の学部への進学を志望していたが、学力的に遠く及ばず断念した(あるいはその種の職に就くには専門学校への進学が望ましいのに、大学(しかもその系統でない学部)への進学しか親が認めなかった)等、進学時の挫折。 果たして、そうした職業は、今でもその頃のようなよいイメージで見る事が多いのでしょうか? それとも、なれなかった恨み故に、醜悪なイメージ(悪い面ばかり見える)の事が多いのでしょうか? 子供の頃なりたかった職業位ならともかく、進学時や新卒時では、生々しい恨みが後年まで残るかもしれません。 それとも、大人として割り切る事が多いのでしょうか? 下手すると、志望していた職業の人たちが、重要なクライアントになることもあります。 その際、恨みやなれなかった劣等感があったのでは、接客態度が悪くなってしまいます。
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私は経済に興味があって高校は理系だったものの大学は政策科学系に進みました。 将来はアナリストや投資アドバイザーみたいな仕事に就きたいと思っていましたが、そういう仕事というのは難関大学じゃないと難しいということがわかりました。 私が通っていた大学は地方国立大学でしたが可能性としては最低でも旧帝国大学の大学院卒 ですが、受けようにもTOEICの点数を提出しなくてはならず職業系高校を出ていて英語ができなかった私は大学のうちにあきらめましたね。 修士課程に進むにも家計がぎりぎりでしたし、今の大学では地方銀行や都市銀行の総合職に内定をもらえればよいほうという感じ。それならそれで…ということで現在は全然関係ない団体職員になっています。 アナリストとか投資アドバイザーみたいな人って金融機関でも中枢で働くような人でないと会わないような世界だろうし、やっぱり自分には最初から能力不足だったんだろうなあ…ということであきらめてますね。 ハッキリ言えば、昔、サッカー選手になりたいと答える小学生って結構いたと思いますが 中学でサッカー部に入って選手になれるか、高校側から推薦入学を打診されるほどの実力がある人は一握り さらにJリーグで選手になって、中田英寿みたいな欧州の名門クラブに移籍できるのは本当にわずか たぶん何万人とか何百万人に一人というレベルなんでしょうね。 当然、親に理解があって適した教育をしていること、本人に適性とやる気があって、努力し続けることができた人 そして結果を出し続けた人だけがそういう人生を歩めるわけです。 まあ、今の団体職員になるのも倍率が何百倍という世界でしたから努力はしたと思いますが 普通のサラリーマンとかの中では収入や環境が恵まれているというくらいですからね。 努力が思うように報われるわけではないけれど、アナリスト目指して頑張っていた自分がいたからこそ今の自分がいると思っていますよ。 社会というのは適所適材です。適したところに人間は流動していくというのが常ですからね。
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