解決済み
日本の伝統技術や日本独特の美意識を世界に発信する仕事について。 現在私は東京の美大で工芸を勉強して、日本に残る"職人の技術"と現代の生活にマッチした"新しいプロダクト"ができないかと模索しています。その分野について深く学べる大学をみつけ、来年からその大学に行こうと考えているのですが、日本の古き良き文化が消えつつある今、再び日本人に日本の文化に興味を持たせ、世界に日本の伝統工芸品のよさを伝える企画や交流は、今後活性化されて行くと思われますか? 技術革新やデザインの多様性が急速に進む今だからこそ、古いものを見直すいい機会であり、売り出すチャンスでもあると考えています。伝統工芸産業や、日本に残る職人技術というものは廃れて行ってしまうと思いますか? また、どのようなニーズに答えていけば伝統工芸分野が活性化されて、発展して行くと思いますか? あなたなりの考え方でいいのでお聞きしたいです。 回答よろしくお願いします。
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こういうディベートっぽい課題はスコープちゃんと切らないとダメですよ。 範囲が広すぎて抽象的過ぎるから、皆が同じ土台で話が出来ないです。 結果、色んな話は出てくるけど、比較も出来ないし、微妙な結果になっちゃいますよ。 って私は大学で教わりました(笑) さて、結局問題は手工業・工芸というものがどこで工業と線引きするかです。 同様に職人の定義についてもそうです。 私は二つの側面があると考えてます。 1.廃れるべくして廃れていくもの 既に新たな技術・技法が確立し、既に利用価値が低下したもの。 より効率的かつ高品質の代替技術があれば、これは滅びゆくだけの存在にしかなりません。 2.その他の要因で廃れていくもの むしろこちらが問題ですね。 要は、優れた現代工業においても優れた技術技法を持っているにも関わらず ・後継者がいない ・知名度がない ・様々な理由から利益にならない ってことで廃れていってしまう技術のことです。 私は海外にも足を運んでるのでわかるのですが、日本の工芸技術は希少かつ未だ優れた技術です。 学びたいと考えている外国人も非常に多いです。 ですが、伝統工芸は閉鎖的な業界ですし、国外になかなか目を向けることがありません。 ここに何かきっかけや橋渡しをできる存在があればと思うことは多々あります。 よって、私の意見はこうなります。 >日本の古き良き文化が消えつつある今、再び日本人に日本の文化に興味を持たせ、世界に日本の伝統工芸品のよさを伝える企画や交流は、今後活性化されて行くと思われますか? 世の中の流れに身を任せる限りは様々な要因から滅んでいくでしょう。 あなただって、「誰かが活性化してくれるかな?」っていう他人任せの思考になってます。 むしろあなたみたいな人が自分から優れた文化を発信する努力をしないといけません。 個人個人の意識改革と活動があれば活性化の希望があると思います。 さて、あなたはどういう道を選びますか? >技術革新やデザインの多様性が急速に進む今だからこそ、古いものを見直すいい機会であり、売り出すチャンスでもあると考えています。伝統工芸産業や、日本に残る職人技術というものは廃れて行ってしまうと思いますか? 既に取って代わる技術があるものを除き、優れた伝統工芸は現在抱える問題を解消することで生存の道を探る事は出来るでしょう。 同じく、自浄作用や外的要因が必要ですが。 これも誰かが頑張らないといけないんですが、肝心の「誰か」がいないんでしょう。 >また、どのようなニーズに答えていけば伝統工芸分野が活性化されて、発展して行くと思いますか? 一概に正解はありません。 そもそも不足しているのはその技術や工芸にあったニーズを考えてくれる企画屋さんと、発信力を持った宣伝屋さんです。 これをね、高齢化しているお爺ちゃんお婆ちゃんに丸投げ・押しつけたままで復古できると思います? グローバル化、情報化社会の現代に対応できる若者が必要なのです。 ※インターネットを自在に使いこなすスーパーお婆ちゃんとかもいるけどねwww ちと、現代においては不要で滅びゆくだけ、と回答されている方もいらっしゃるようで、悲しいと思う一方で、現状のままだとそうなってしまうな、と思う自分はいます。 ただ、全てが時代遅れの技術ではなくて、むしろ現代工業の力をもってしても人間の職人の力を超えることができない、そんな文化や職人が日本にはたくさんいることをもっと知って欲しいと思う次第です。 ただ守っても滅びは止まりませんので、もっと攻めていかないといけない時期ですね。
世界中で、日本文化だけが、情緒文化なので、世界中の憧れの的となってます。外国は、すべて論理思考文化です。かつてアインシュタインも来日して感動しました。西洋文化は、脳を刺激する文化です。日本文化は、逆で、脳を休める文化です。現代人は、西洋的美学なので、論理思考的発想です。昔の日本は、情緒思考です。美人は冷たいと言われます。美的、調和的、知的、論理的に脳を刺激するのが西洋文化アメリカ文化です。西洋、アメリカでは、美しい芸術と思われています。これを論理思考文化といいます。これに対して日本の伝統文化、和風文化は、情緒があるのが美しいと思われています。これを情緒文化といいます。情緒は、人の心を癒し、育てます。論理思考文化は、脳を刺激するので、躍動感があり、心が元気になるけど、心は、ストレスになります。これを癒しだと現代人は、錯覚してます。現代演劇、現代美術、現代音楽は、自己表現、自己主張が過剰で、脳を刺激するものばかりで、気分が高まる、テンションが高まるものばかりです。だから心は、リラックス出来 ないです。逆に興奮します。脳を刺激する芸術と、脳を休める芸術があります。現代の芸術は、脳を知性を刺激して、頭で理解する、論理思考芸術です。究極は抽象表現です。脳を刺激すると活性化して、元気になるけど、頭の知的な美的な遊びで、自己満足で、癒しではありません。脳を休める芸術は、日本の伝統文化です。情緒を表現していて、情緒思考文化です。脳を休ませる芸術は、情緒に溢れているので、心が癒されます。論理思考は情緒を排除します。論理と情緒は対立していて両立しません。だから自己主張や自己表現が強いと、論理思考芸術になります。日本の伝統音楽の義太夫節、演歌、民謡などは、母音を過剰に伸ばすので、この時、脳が休み、脳波がアルファ波になり、情緒が交流し、心が癒されます。つまり日本の伝統文化は、舞踊や演技の間、音楽の母音、絵画の余白、和歌の枕詞などに、間を入れて情緒を多くします、これが脳を休ませる情緒思考芸術です。情緒は、人を癒し、人を育て、社会を調和に導きます。新しい時代は情緒の時代です。世界中で日本人だけ、 思考行動パターンが、情緒思考です。だから日本は情緒溢れる国です。新しい時代の手本です。
大きな勘違いをしているようですね。 安物の政治屋のようです(笑) 伝統工芸は、 当然、文化の中に、成熟したものです。 通信の発達で、地域や文化が均一化している今、 不必要なものです。 結果生き延びる方法は、 趣味嗜好の物として、 細々と、 プロダクトからアートに移行するしかありません。 すでに、使える技術は、大量生産に、移行しています。 伝統工芸は、生産とアートの間で、押しつぶされ、 今後、滅びるべきものです。 文化を残さないといけない理由などどこにもありません。 伝統工芸など、活性化してはいけないのです。
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