行けるレベルの大学では地域で2番目になるような所(旧帝大があるのでだいぶ霞んでます)で、国立とはいえそこまで有名でも……というような感じです。 最悪生きて行ければいいと甘いことも考えちゃっているのですが、この学科、このような大学でも生きていけるくらいの就職先はありますよね? 哲学は就職先が無いとも聞くのですが……。 実際のとこどう思われますか?
解決済み
元電気通信大学教授で哲学者の中島義道氏は福岡県門司市(現在の北九州市)で生まれました。 何回も引っ越した後、神奈川県川崎市で長く暮らしました。勉強が好きで、成績は良かったそうです。川崎市立西中原中学校時代は東京教育大学(現在の筑波大学)付属駒場高校を受験したほどです。結果は不合格でしたが、神奈川県立川崎高校をほぼトップの成績で入学し、首席で卒業しました。それで東京大学文科Ⅰ類に現役で合格しました。中島義道氏が中学3年のとき、中島義道氏は15歳くらい離れた30歳くらいの若い女性の担任にかわいがられていたそうです。でも、その教員は中島義道氏を「なぜ普通になれないの?」と責めていたそうです。「七〇歳の絶望」(角川新書)は中島義道氏が70歳になった平成28年~71歳になる平成29年までの1年間を日記形式で述べた本です。その中で中学校の同窓会に行ったことも述べられています。85歳くらいになるその教員は古希を迎えた中島義道氏と50年ぶりに会ったらどのように思うのか気になりました。残念ながら、その教員は体調不良で欠席だったそうです。中島義道氏はその前の年に「〈ふつう〉から遠くはなれて」という著書を出しました。題名は中島義道氏が考えたそうですが、その教員に「なぜ普通になれないの?」と責められていたことが関係していたそうです。中島義道氏は同窓会でそれについて教員に話そうとしていたそうです。
願いします。 そういうのが好きだ。と言ったら、上司にそう言われてしまいました。
大学教授で哲学者の中島義道氏は福岡県門司市(現在の北九州市)で生まれましたが、 何回も引っ越した末に神奈川県川崎市で育ちました。川崎市立西中原中学校を卒業後、東京教育大学(現在の筑波大学)付属駒場高校の受験に失敗し、神奈川県立川崎高校に入りました。教師は東京都立の高校(新宿高校など)への進学を勧めたそうです。現に中島義道氏の姉は東京都の高校に通っていました。しかし、中島義道氏の父が反対したそうです。中島義道氏の父が学校まで行ってまで反対したそうです。中島義道氏の母はPTAの活動をしていたので学校に行くことは珍しくなかったそうですが、中島義道氏の父が学校に行くことは珍しかったそうです。中島義道氏はそれほど反対しているのかと気づいたそうです。中島義道氏の父は「地元で育てようと思わないのですか」などと言ったそうです。中島義道氏には「地元の高校を1番で卒業して東京大学に行けば良い」などと言っていたそうです。これは中島義道氏の父の経験で、中島義道氏の父は地元の門司中学を首席で卒業後、第一高校(現在の東京大学)に入ったそうです。(その後、中島義道氏の父は東北帝国大学に進学します) 中島義道氏は神奈川県立川崎高校に入り、中島義道氏の父に言われたとおりに首席で卒業して現役で東京大学文科Ⅰ類に入ります。川崎高校から現役で文科Ⅰ類に入ったのは25年ぶりだったそうです。浪人で入ったり、文科Ⅱ類などに入ったりする人は毎年のように存在していたそうですが。中島義道氏は文科Ⅰ類に入ったのですから、3年生から法学部に進むのが普通です。でも、中島義道氏は哲学がやりたかったそうです。それも大森荘蔵氏に指導を受けたかったそうです。そのため2年生のときに故意に留年し、教養学部に進むことにしたそうです。でも、大学院は本郷のほうに進んだそうです。大学院時代に論文が書けなくなったそうです。そして、大学に行くことをやめたそうです。ふと思い立って三修社に電話したそうです。それで「今、アルバイトを募集しているから来てほしい」などと言われたそうです。それで三修社でアルバイトを始めたそうです。三修社の社長からは「修士論文が書けたら正社員にしてもいい」などと言われたそうです。でも、中島義道氏は論文を書かずにアルバイトに精を出していたそうです。そんなときに山本明氏が三修社にやってきます。中島義道氏と会って、「君はそんなところで何をやっているんだ?」などと言ったそうです。中島義道氏はとっさに「バイトです」などと答えたそうです。その後、中島義道氏は「論文を書くから」という理由でバイトを辞めます。でも、論文は書けません。「正社員で雇ってほしい」などと頼みますが、「修士論文を書かなかったのだから雇えない」などと言われます。中島義道氏は生きる気力をなくし、家族が寝てから1人でリビングに行き、扉の隙間をタオルで丁寧に塞ぎ、ガス栓をひねったそうです。「シュー」という音が気持ち良く聞こえたそうです。「明日には死んでいるんだな」とだけ思ったそうです。その後、ガスの臭いに気づいた中島義道氏の姉が起きて、中島義道氏を叩き起こしたそうです。年が改まって、気持ちも落ち着いてきたため、三修社で会った山本明氏のところを訪れます。何かアドバイスをもらいたかったそうです。でも、中島義道氏の予想に反して「せっかく文科Ⅰ類に入ったんだから、法学部に学士入学してはどうかな?今は景気が悪いし」などと言われます。中島義道氏は「今更法律の勉強なんてできない」などと思って断念します。でも、大学から「文科Ⅰ類に入ったから筆記試験を免除する。口頭試問のみを受験すること」などという手紙が届きます。中島義道氏は口頭試問で嘘を言って合格します。倍率が高かったそうですが、合格することができたそうです。大学4年生のときに山本信氏のところに行って指導教授になってもらうように頼みます。最初、山本信氏は拒否したそうですが、中島義道氏は粘ったそうです。とっくに恥は捨てていたそうです。そして、「大学は留年せずに卒業すること、修士論文は1年間で完成させること、博士課程には進まないこと」という条件に指導教授になってもらえたそうです。そして、本郷の大学院に進みます。そして、大学院を修了します。大学に入ったから実に10年以上過ぎていたそうです。そして、予備校の講師になりました。でも、それでは満足できなかったこと、東海大学の非常勤講師を理不尽な理由でクビになったことを理由にウィーン大学に私費留学します。やたら長く述べてきましたが、私が言いたいのは、山本明氏の件です。
です。 質問:これは>知恵袋にも言えますか?
哲学者の中島義道氏は35歳のときにウィーンで結婚しました。当時はウィーン大学の私費留学生で同時に日本人学校の非常勤講師でした。 中島義道氏の妻は日本人学校の文部省(現在の文部科学省)の派遣教員でした。中島義道氏と中島義道氏の妻が帰国する直前に中島義道氏の妻は妊娠しました。帰国後、中島義道氏は谷嶋喬四郎の紹介で東京大学の助手になりました。中島義道氏が助手になって2年目のとき、中島義道氏は突然谷嶋喬四郎にいじめられるようになりました。いじめられるようになった原因は中島義道氏が谷嶋喬四郎を尊敬していなかったこともありますが、中島義道氏の推理によれば谷嶋喬四郎の家で行われた飲み会が関係しているそうです。高幣秀知が北海道大学に採用されたことで送別会が開かれました。高幣秀知は北海道大学の助教授で、中島義道氏は東京大学の助手です。中島義道氏は劣等感から参加していた坂部恵などへの態度が悪くなったそうです。それで、みんなが帰った後に谷嶋喬四郎の妻が谷嶋喬四郎に「ねえ、中島さん、あんな失礼な態度をとるんじゃ、どこにも就職できないわよ」とでも言ったのだと中島義道氏は推理したそうです。その後、中島義道氏は千葉県に新設される帝京技術科学大学(現在の帝京平成大学)でドイツ語と倫理学を教えられる教員を募集していて、そこに中島義道氏が採用されたそうです。そして、中島義道氏は電気通信大学に赴任した後に定年を前に退職して、中島義道氏が開いた「哲学塾カント」で哲学を教えるようになりました。
35歳のときにウィーンで結婚しました。当時はウィーン大学の私費留学生で同時に日本人学校の非常勤講師でした。 中島義道氏の妻は日本人学校の文部省(現在の文部科学省)の派遣教員でした。中島義道氏と中島義道氏の妻が帰国する直前に中島義道氏の妻は妊娠しました。それで中島義道氏はウィーンでいろいろ鍛えられたそうです。中島義道氏のように強くならなければならないと思います。中島義道氏は東洋経済で「いつも楽しみに拝読しております。 私は、上司や先輩社員とうまく関係を築けず、悩んでいます。 入社3年目も半ばに差し掛かりますが、まだまだ未熟な部分ばかりで、たくさんご指導いただけることは大変ありがたいことだと思っています。 ただ、どんなまっとうなアドバイスでも「どうしてそんな言い方をするのか」と思ってしまうことが多々あります。言葉尻が厳しい、きつい、嫌らしいといった感じで、特定の上司でなく、複数の上司についてそう思います。 ふと「これは世代差なのだろうか」、と考えたことがあります。彼らが新人だった当時は、きつい言葉でなじられても、強くたくましく仕事をしていたのかもしれません。私と歳の近い同僚にも同じような悩みを持つ人が多く、私たちの世代が、極端に打たれ弱いのだろうかと考えてしまします。 仕事自体は面白く、もっといい仕事をしたい、成果を出したい、先輩方から吸収したいという思いはあるのですが……。歳の離れた上司とは、どのような付き合い方をするのがよいのでしょうか。 (25歳 女性 会社員)」という質問に「今回は、いろいろ考えさせられる内容です。私も若いころは(誰も信じてくれないと思いますが)、気が弱くて人々の言葉や態度にひどく傷つけられてきました。そして、「思いやりのない」そういう鈍感で権力的な人々に対して嫌悪を抱いてきました。しかし、33歳でウィーンに独り飛び立ったとき、そんなノンキなことを言っていられないと、彼の地で思い知らされました。(当時はまだ人種差別もありましたから)とにかく「言葉尻が厳しい、きつい」などでは表現できないほど、役人も、不動産屋も、店員も、一般市民も、私に対して高圧的で攻撃的であり、私は毎日、頭ごなしにしかられているという思いでした。相手のまくしたてるドイツ語がわからないと、嘲笑され、相手にならないと軽蔑され、そのうえ、街では相手に一歩も譲らないケンカをしょっちゅう見かけ、とにかく「そこで」生きていくためには、これに慣れねばならないと実感しました。 「不合理」を生き抜く二つの方法 ただ慣れるだけではダメです、そこで「人間としての最低のプライドをもって」生活しなければならない。トラブルが生じるたびに、相手はそれまでの社交的ニコニコ顔を仮面を剥がすように取り去って、真顔でうそを言い、「自分は全然悪くない! あなたが悪い!」と詰め寄ります。まったく自分が悪いのに、「警察を呼ぶ!」と何度、怒鳴られたことでしょうか? 初めは、こんな不合理なことがあっていいのか、と不思議な思いでしたが、そういう「文化」なのですから、私が個人でそれを変えることもできず、そこを去ることもできないとすれば、道は2つしか残されていません。 ① 自分の信念を貫き、濡れ衣をも差別をも甘受して、ウィーンで自滅していく道 ② 自分を変えて彼らのように強くなり、「即席ドイツ人」になる道 私は当然、②の道を選びました。なぜなら、私はウィーンでドクター論文を書く目的があったからです。その目的を達成しなければ、その後、まともに生きていけないと思ったからです。 カネが湯水のようにあり、どんなにだまされても相手を責めないという人はともかく、①の道をとることはほとんど不可能です。なぜなら、彼の地では人はよくだますからであり、そのうえ、わが国では考えららないような間違いをしょっちゅうするからです。そして、対立したときの態度がすごい。(殴る蹴るの暴力はめったにありませんが)大声を上げこぶしを振りかざして、こちらに挑みかかってくることもあります。」と答えていました。 https://toyokeizai.net/articles/-/21734
いませんか?そこから脱落したら元に戻れず、まともに就職できないと思いませんか? 20歳前後でないと就職ができないイメージがないですか?最近は変わりつつあるのかもしれませんが。元電気通信大学教授で哲学者の中島義道氏は東京大学在学中に引きこもりになり、大学院時代を含めて10年以上も東京大学に通っていたのに東京大学の助手と帝京技術科学大学(現在の帝京平成大学)の助教授を経て電気通信大学の教授になりました。いろいろな運の良さもあったのだと思いますし、中島義道氏自身も認めていますが。中島義道氏は横浜と自由が丘の予備校で講師をやっていましたが、東京大学の助手になれていなければ予備校で非常勤講師をやっていたかもしれません。熊澤英一郎は引きこもりだったために親の熊沢英昭に殺されました。熊沢英昭は熊澤英一郎が引きこもりで就職しないことが不満だったのかもしれませんが、では引きこもりの熊澤英一郎が就職できたかと言えば怪しいと思うんですよね。日本の企業は引きこもりに冷たい気がします。道を外した人の就職は難しいのではないですか?大学生が就職活動に必死になるのは新卒でなければ就職が難しくなるからではないですか?
倫理をとりました。最初勉強した時はカタカナばかりで覚えるのが辛いなぁとか思っていたのですが、様々な哲学者の真理についての論を見ているとすごい面白いなと思いました。人間はこんなにも深い事を考えるのかと哲学に真剣に興味が湧いてきました。そして哲学入門書を買い、読んでいるとますます面白さに惹かれどっぷりとはまってしまいました。 元々は警察官になりたかったのでつい最近までは法学系の大学に進み警察学校を卒業し警察官になろうなどという進路を考えていたのですが哲学が頭から離れず倫理や哲学関係の進路も考えてみたいと思い始めました。今までの進路研究が水の泡になるかもしれないのでいろいろ大変だなぁと思っています。 回答お願い致します。
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