解決済み
なぜ年を取ると間違いに厳しくなりますか? 例えば私が前の職場で勤めていた時のことですが差し入れに ジュースを何本かいただいた時「何にする?」と聞かれたので「からだ巡茶(じゅんちゃ)にします」と言ったら周りから変な 顔をされました しばらくたって同僚の一人が「………もしかして”からだ巡茶”(めぐりちゃ)のこと?」 と”ご丁寧”に訂正してくださったのです 学生時代は間違いには寛容なのに社会人になった今でははじめの例のような ほんの間違いでも大事に取り上げられるのは致し方ないことですか? 例えば学生時代国語の授業の朗読のとき私が”一期一会”を”いっきいっかい”と知らずに 間違えたら先生は「それは間違えやすいけど”いちごいちえ” と読むんだよ」と誰にでもわかるようにスマートに間違いをフォローしてくれたのに……… 学生の頃はどんな間違いも多少は大目に見てくれたのに10年経った今では些細な 間違いでも潔癖になるのはなぜですか?
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些細なことというのは、そういうことなのですね。 日頃の会話では、きちんとコミュニケーションが取れていますか? 「………もしかして”からだ巡茶”(めぐりちゃ)のこと?」ではなく、 「よく間違える人が居るけど、これは、からだめぐりちゃっていうんだよ。」と言われれば、嫌な感情は湧かなかったのでしょうか? 学生時代の先生が「それって、いちごいちえのこと?」と言ってきていたら、先生のことが嫌いになっていたのでしょうか? 話の表現は、人それぞれ違います。結果的に、先生も同僚の人も、あなた様が間違って覚えていたことを正確に教えてくれただけだと思います。ただ、少し比べるべきことではない気がします。先生は、あなた様に恥をかかせないように言っただけ。同僚の人は、いつも一緒にいるからその配慮に欠けていただけのこと。 あなた様にとっては「からだじゅんちゃ」というのが、主張なのでしょうか? 先生と同僚の人では立場が違うということを考えてみて下さい。先生はあなた様よりも上の存在。同僚の人は、いわば対等な関係。そこから生まれた間違いの訂正の違いだと思います。
学生はまだ学んでる途中だから 社会人はもう学び終えた後だから 学んでる途中なら知らないことやわからないことがあって当たり前 だからこそ学んでるわけですからね ですが社会人はもう学び終えた後なんですから、少なくとも学校で習うようなことは知ってて当たり前でしょう でなきゃ何の為に高い金払って貴重な青春時代の時間を削ってまで学校通ってたんだって話になります
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