察する能力の程度には個人差があるからでしょう。 発達障害のASDでは、「他人の視点に立って物事を考えるのが難しい」という問題が発生します。 じゃあ、ASDとそうじゃない人は明確に区分されるのか? 違うでしょう。 血圧と同じ。「135からが高血圧」というのはただの線引きであって、135から問題が出て134なら問題が出ないと保証されてるわけじゃない。 ただ「どこからが高血圧か」が個人個人であまりにもバラバラだと困るから、どっかにボーダーラインを決めなきゃいけない。135にしとく?それでいくか。というだけ。 正常血圧の人にだって、最高血圧110の人も115の人も120も130もいる。 感覚だって同じ。 ASDの人もいれば、ギリギリASDじゃない人もいるし、全然ASDの特性が見られない人もいる。 『他者からどう思われてるか?という視点』というもっと限定的な話にしても同じ。 全然できない人、ほとんどできない人、結構できない人、まぁまぁできる人、お前エスパーかよという人もいるかもしれない。 それを何故というのなら、「人類は自分のコピーを作る無性生殖ではなく、有性生殖を選択した生物だから」が答えになるんじゃないですかね。
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