解決済み
医師の出世について 自分の県には県立病院群、県庁所在地の市立病院、その他の地域の広域行政組合の地方独立行政法人など沢山の公立総合病院があります。調べてみると、どこの病院も病院長や理事長は地元国立大学医学部を卒業しそこの附属病院で研修を行い医学博士を取得した後に大学附属病院で役職などを経た人が就任しています。 県立病院、市立病院、独立行政法人の病院はみんな初期臨床研修医、後期研修医、常勤医師の募集を行っていますが、出世できるのは地元国立医学部の附属病院医局で出世した医学者だけということですか? 国立大学附属病院の医学者はやはり医師としてのスキルやレベルが高いのですか?
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今、病院長や理事長をされている方は、医局制度が華やかな時代の人です。 ****** 昔は医学部卒業し医師免許取ったら、皆そのまま医局に入ったんです。部活の先輩に誘われたりして、診療科の詳しい業務内容なんて良く知らずに。初期研修医制度が無い時代です。 だから医局は巨大なピラミッドでした。医局の長=教授の権力は絶大。でも医学部附属病院に大所帯の医局員を全員雇えません(当時、無給医が大きな問題になりました)。だから県下・県外に多くの関連病院を持ち、教授命令で県内の僻地の小さな市民病院にも医師を派遣していました(子分の医師達に飯を食わせるため)。教授に逆らうなんて許されません。教授選は裏で札束が飛び交い票集めが当たり前。中堅医師になれば、医局内のどのグループに属するかで将来が決まる状態。 小説「白い巨塔」で描かれた世界が、全国津々浦々の国公立医学部で現実にありました。 でも約20年前に臨床研修医制度がスタート。2年間の初期研修が必修化。大学病院以外に自分で就活して、その後専攻医・専門医に進む道が開けました。もう入局必須では無くなったので、給与が安く教授頂点の封建制度を嫌った新人医師達は、医局を避けました。地方国公立医学部に進学した都会出身者は、医師免許取得後に地元の都会に戻ります。だから地方では地域医療の医師不足が顕著化。地域枠入試導入のきっかけになりました。 今では入局者は3割前後。医局ピラミッドが小さくなり教授の権力も大きく減衰。県下の主要病院にしか医師を派遣できなくなりました。医局構成員が減ったのだから当たり前ですが。 ****** ということで、冒頭の「病院長や理事長をされている方は、医局制度が華やかな時代の人」になります。この世代の方は医局ピラミッド上部では比較的多いでしょうが、若手の医局員は少数派。 旧帝大の医局は、自校医学部入局者はやはり少ないものの、地方国公立医学部や都会の私立医(関連病院を多く保有している慶應医除く)に進学した都会出身の新人医師達が穴埋めのように入局してくれるので、まだそこそこの権勢を誇っています。 ここまで書くと 「県立病院、市立病院、独立行政法人の病院はみんな初期臨床研修医、後期研修医、常勤医師の募集を行っていますが、出世できるのは地元国立医学部の附属病院医局で出世した医学者だけ」 の理由を察すると思います。 ・医局に残った関連病院に、派遣出来る若手医局員がいない。 ・医局の年寄り医師は多いから、病院長や理事長のポストには送り込める。 そういうことです。 千葉大とのこと。 千葉県の地域枠入試による勤務先病院を調べてみたら判ると思います(県HPで「医師修学資金貸付制度」など検索すると出てきます)。初期研修医・専攻医は、大学病院や千葉都市部基幹病院が指定されていますが、その他期間の勤務先病院には房総などの僻地病院群が指定されています。これら僻地病院の多くは、初期研修医制度が無い時代なら千葉大医学部の医局の支配下で医師派遣していた病院です。もうそんな余裕が無いのです。 「国立大学附属病院の医学者はやはり医師としてのスキルやレベルが高いのですか?」 県内の高度先進医療提供の中心的役割ですから、病院としては難病や先進的治療に関して、設備が整い治療実績も多いので強いでしょう(一般的症例は大学病院は受け付けないので、地元の町医者が強かったりします)。それでも臨床の現場に立つ機会が多い40代の医師までです。「病院長や理事長」になれば、管理職業務や学会・講演会等が日々の多くの時間を占めます。もう医師としては第一線を退いた人の名誉職です。 この先、貴方が入局し中堅医師になった時、医局に関連病院がどれだけ残っているか?こればかりは誰にも判りませんが、今よりポストが減少している事は間違いないでしょう。今の医局中堅医師自体が少ないのですから。 長文失礼しました。
そのような規則は、全く在りません!! 都心の大学簿湯院からだって地方主要都市の公立病院 特に(旧)国立病院だと「東大閥」、「慶応閥」・・なども存在している
「医局」「関連病院」という制度を調べてください。 医師の世界は、「医局」という大会社の医師派遣部門がその地域を寡占しています。大学が古ければ(旧帝大、旧六医大)、県境を越えて広く「関連病院」をもっていますし、戦中にできた旧設医大だと、地元の県の7-8割を抑えていますし、昭和40年以降にできた新設だとやっと県内の中病院と大病院の一部を押さえている状態です。 「医局」=「大学講座」です。教授を頂点(代表取締役)として、大学が本社であり、関連病院が支社なわけです。本社には大学院という名の研究所があったり、留学という海外赴任があったり、国内留学という出向がったりしますし、旧帝大から新設医大に教授を派遣し、子会社化なようなことをしたりします。 関連病院は、医局から医師を派遣してもらうことで、医療を担います。これは、医局にとっては、医局員のポストをつくり仕事にあぶれないようにするために必要ですし、関連病院にとっては安定して医師を派遣してもらうこと、医師の質が悪ければチェンジしてもらえること、数年で転勤させることで退職金の支出を抑えることなどで、Win-WInの関係な訳です。関連病院のうち、最大クラス(県庁所在地の県立病院や市立病院)の病院の部長や副院長、院長などは、教授選に負けた人や、退官した教授の右腕として働いた大学の講師以上の人が派遣されます。大病院の副部長や医長クラス、は専門医をとって助教、医員という立場や大学院などで博士号をとった後に派遣されることが多いですし、中小病院の部長クラスは、大病院の副部長や医長クラスで上が詰まったときに派遣されることが多いです。 このように大学病院には、指導者的立場の人もいれば、教育されている途中の医者も多くいます。大学病院の医師がみんなスキルやレベルが高いわけではありません。ただ、大学病院でなければ診療されていない疾患や治療法があり、それが広く行われるようになってくるときに、大学病院で指導を受けた人たちが関連病院に行ってそれをするようになるわけです。 医局に日本でまだ始まったばかりの治療、研究法を持ち込むのは、国内留学をしている人だったり、海外留学していた人だったりするわけです。
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