解決済み
出版社などで、校閲のお仕事をされている方に質問です。 「原稿が酷すぎて修正をかけすぎた挙句、元の原稿がほぼ姿を消した」 こんな経験はありませんか?現在、とあるweb系メディアにて、校閲のような業務を担当しています。 正直、回ってくる原稿の質が低く、赤だらけです。 しかし現状、時間的にも金銭的にも、その原稿を執筆者に戻す余裕がないとの事で、自分の所を通ったものが最終稿となっています。 手直しが過ぎると、事実上原稿自体を自分が執筆した状態となります。 それは執筆者への冒涜行為でしょうか? 執筆者をリスペクトするのならば、逆におかしな文章でも最低限の修正のみにとどめるべきでしょうか? 低品質な原稿であることを承知の上、誤字脱字のみ修正し最終稿とするか できる限り質を上げる努力をし最終稿とするか この間で悩んでいます。
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一般的な校正校閲さんは、赤字入れるけれども最終判断は編集部と著者に任せるでござる。編集部や著者がひとつひとつ「ここは赤字に従おう」「ここはママイキで」と判断するでござる。 結果、ほぼほぼ原型をとどめないものにゴーサインが出ることもあれば原型をとどめたものにゴーサインが出ることもあるでござる。どちらの場合も編集者と著者の責任においてそうなるのであり、校正さんによる冒涜とかそういうのはないでござる。(もしも出版系で校正さんが編集者著者に無断で最終稿を印刷所に送ったら大問題になるであろう) がしかし、webの場合はケースバイケース。プロライターを起用し、出版同様に校正戻しを行なっている意識高めメディアなら問題はないのだが…。無料で読めるwebメディアの場合、売上が出ず広告収入頼みなので金がない。運営がテニオハなってないトーシロ執筆者を安値で引っ張ってくることもあろう。そんなんいちいち丁寧に校正戻ししていたらスケジュール的にも人件費的にもメディアが成り立たん。結果、校正さんがババ引いて冒涜もへったくれもなく自分が最終稿までやっちまうか、「やってられっか」と最低限の誤字以外はスルーするかだ。 つまるところ、この件について悩むべきは質問者さんじゃなく運営なのだ。出版並みの校正戻し体制にして意識高いメディアを目指すなら、それに見合った人員拡充と予算追加と「校正戻しができるスケジュール組み」をしなくちゃならん。 金がないからそんなんやってられんというなら(たいていそうだ)、運営は質問者さんにそのへんきっちり方針を伝えにゃならん。「予算がないので悪いが意識低めメディアに徹してくれ。最低限の誤字脱字以外はスルーだ。本来、まともな文章書ける人間を集め、そのうえであなたに校正を頼むべきなのは分かってる。でも予算がないんだ。文章力未熟な書き手も起用するしかない。しかし校正であるあなたが彼らの尻拭いを全部やっていたら、いずれあなたが消耗してしまう。申し訳ないが意識低めメディアに徹してくれ。原型をとどめないほどの文章修正はしなくていい。ウチの予算でフレンチのフルコースは無理なんだ、ファーストフードに徹してくれ。コーヒーちょっとこぼれたくらいで淹れ直しとかナシ、そのまま客に出してくれ。ケチャップかかってないとかそういうミスはキッチンにいちいち戻さなくていい、君がかけちゃってくれ。俺の責任でキッチンスタッフには納得してもらうから。『おめーら冒涜とか偉そうなこと言えるようなハンバーガー作ってないだろ』って」こう。 運営に意識高めメディアでいくか低めメディアで行くかきちんと確認して、運営に悩ませたほうがいいと思うよ。運営に方針を決めさせ、運営の責任において「校正スタッフの赤字修正そのまんま入稿」を認めるかどうか決めさせたほうがいいと思うよ。
なるほど:2
執筆者側の意見として申し上げます。 出版社は販売部数を当てにした商業ベースで校正もやっているのでしょう。商業ベースから逃れるわけにはいきませんので、文章の主旨を曲げない限度で最大限のアカを入れざるを得ません。 どこまでアカを入れるかは最終的には執筆者との相談によるところです。 校了の無いまま発行してしまうような出版社でしたら発行を差し止めましょう。そして他の出版社をあたると良いと思います。 下原稿の監修を行ったことが何回か有ります。また自分の原稿に出版社の校正を依頼したことも有ります。校了の無いままの発行経験は有りませんでした ナイス!
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