大学や研究所の公募に,その人の専門分野の公募が無かった。 その専門の知識(かなり狭いから)を必須とする企業から 求人が無かった。 勉強はできて専門の成績はいいけど,挨拶ができないなどの 人間的な性質を企業の採用面接で嫌われた。 教員公募などの情報を在学中から確認しなかったため,その 機会を逃した。 自分の研究や人となりを過大評価したことで機会を逃した。 そもそも博士号取得の1年くらい前から就活をすべき(公募 を確認するなど)なのを怠った。 公募に類似研究分野のものがあるが,高望みして応募しなかっ た。 公募したら,一人の募集に20名以上の応募があって,業績の質 と数で他の候補者に負けた。 いろいろ考えられますけど。
なるほど:3
ここでは、文系に限って述べることにする。そもそも昔の我が国の場合、「博士号」は、超有名な学者が、功成り名遂げてから授与されるものであった。ところが諸外国の場合、そうではなくて、大学院に在学してそれなりの論文を書けば取得出来たから、日本の大学院に留学した外国人学生からは、当然不満が出ることに。そこで当時の文部省は、世界の常識に追いつくべく、大学院の増設と、それに伴う博士号授与の数を増やした。そこまでは良かったのだが、「博士号」授与数を増やしても、それに見合う仕事がないから、当時から現在まで、巷には、博士浪人がウヨウヨさまようという結果に。だから、就職は絶望的に難しいし、ましてや仕事に生かすことは、夢物語に近い。例えば日本文学研究の場合、博士号を持っていても、それを生かす場はないと断言して良い。研究対象は日本文学だから、「詩を作るより田を作れ」という言葉があるように、所詮は趣味。趣味を研究するのだから、特別な方法も資格もないのが当然で、それが好きな人は誰にでも可能であって、仕事に生かせるはずもなく、博士の学位記は、メモ用紙にも使えない紙くずに等しい。結論的に言うならば、「博士号」取得は、自己満足以外の何ものでもない。
なるほど:1
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