中世から医療の近代化をリードしてきた欧州では、20世紀の初頭(国によっては前半まで)まで歯科は外科の一部とされていて、う蝕を中心とする歯科疾患に対する医療も停滞していました。 一方、急速に発展を遂げたアメリカでは、急激な人口増加に伴ってう蝕治療を中心にした “歯科医学”の必要性が高まり、1840年Boltimore大学でdental schoolが設立されました。1867年にはHarvart Medical Collegeに歯学部が誕生し、卒業生にはDocter of Dental Surgery(DDS)の名称を付け、これが歯科医師の資格となりました(2年後にハーバードは学位記に載せるラテン語表記の都合から、DDSをDMD:Doctor of Dental Medicineに変更しました)。 歯科医学が重要視され始めたのは、第一次大戦からです。この戦争から毒ガスや戦車などの殺りく兵器が発達し、同時に医学の進歩で外傷に対応できる治療が出来るようになってきました。 第一次世界大戦(1914-1919年)の際に連合軍の軍医として参加したアメリカの歯科医師(ハーバード軍医・ユニット)の活躍を見て、ヨーロッパの国々も “歯科医学(口腔外科も含む)教育”の重要性を認識しました。ドイツでは第二次世界大戦後に大学に歯学部が新設されました。 現在も、この流れで歯学部が医学部とは別に存在していると考えられます。 日本では、明治時代から、歯科医師の教育制度や歯科医業の範囲について二つの意見があり、議論がなされてきました。 一つは、明治28年に日本医事週報主筆の医師、川上厳華が掲げた医歯一元論。歯科は眼科や耳鼻科などと同じ医科の一分野であり、歯科医師は医学を一通り修めた後に歯科を専修するのがよい、という意見(当時のヨーロッパでの考え方、日本医学界も同意見。東大歯科の初代教授も東大医学部出身・石原久 博士)。 実際、現在でもヨーロッパでは、口腔外科を行うには歯科と医科のダブルライセンスが標準です。 もう一つは、歯科医師である血脇守之助(東京歯科大学創始者)が提唱した医歯二元論です。歯科医師は、医学については概要を学び、歯科については深く習得するのが良いという意見(当時の米国の考え方)。 結局、日本は医歯二元論となり、医科と歯科は区別されることになり、医師および歯科医師が存在する状態となりました(明治39年に医師法と歯科医師法が公布)。しかし、診療における境界論争や、医師法、歯科医師法の策定や妨害など、明治より現在に至るまで、様々な葛藤・事件がありました。今でも、この医歯二元論により成立した歯学部および歯科医師は医師と別とされています
歯学部のカリキュラムには、歯科治療の技術を磨くための実習が山ほど入ってます。 それを医学部の課程にすべて組み込むのは非現実的です。
なるほど:1
< 質問に関する求人 >
歯科医師(東京都)この条件の求人をもっと見る
求人の検索結果を見る
< いつもと違うしごとも見てみませんか? >
覆面調査に関する求人(東京都)この条件の求人をもっと見る