解決済み
皇族のように若干浮世離れしていて上品なマダムですね。 でも良いこともおっしゃっていますよ。 http://honchu.jp/selection/?name=watanabe_01 >弱き人へのあたたかいまなざし 海外にも、美智子さまが大事にされてきた人たちがいます。 ブラジルには、はるか昔に海を渡って移住した日本人がたくさんいます。 そのなかに、美智子さまとずっと交流を続けていた女の子がいました。 彼女の名前は、芹口百合子さん。 最初に美智子さまにお会いしたのは、十歳のころのことでした。 昭和四十二年、皇太子殿下(今上陛下)と美智子さまは、南米ペルーとアルゼンチン、ブラジルを訪問されました。現地では日系人たちが美智子さまの作曲された「ねむの木の子守歌」を歌ってお迎えするなど、どの訪問先でも熱烈な歓迎を受けました。 サンパウロ市の病院を訪問されたとき、美智子さまは日系三世の少女・百合子さんと出会います。百合子さんは四歳のころに罹った重度の小児まひのために、立って歩くことができませんでした。 「美智子さまのおいでを一生忘れません」 たどたどしい日本語を使ってバラの花束を差し出す百合子さんに、美智子さまはやさしくほほえみかけました。 「早く元気になって、いつか日本に遊びに来られるよう祈っています」 美智子さまは、帰国したのちもブラジル大使館などを通して、励ましのお便りを送られていました。その美智子さまの海を越えたあたたかい励ましに応えるように、百合子さんは十数回もの手術を受けてひとりで歩けるほどに回復し、美容師として働けるまでになっていきました。 十一年後、昭和五十三年、二度目のブラジル訪問のおりに、美智子さまは百合子さんと再会されました。感謝の気持ちをこめて、百合子さんは花束を渡します。 「元気になって本当によかった」 美智子さまは百合子さんの手を固く握られました。その頰は涙で濡れていました。 さらに平成九年、三度目のブラジル訪問のおりには、三児の母となった百合子さんと再会を喜び合われたのです。 美智子さまはお立場上、特定の人に思いを寄せることは難しいのですが、それにもかかわらず、百合子さんとは最初の出会いから三十年の交流となりました。 美智子さまは、社会的に弱い立場にある人に、つねにあたたかいまなざしを注がれます。訪問先でも、病院をはじめ障害者や児童、高齢者の施設、ホスピスなどに必ず立ち寄られます。 毎年春と秋に皇居で行われる園遊会でも、美智子さまは福祉などの分野で地道に活動している方や、近親者との死別といった個人的な事情で寂しい思いをしている方にこまめに声をかけられます。 しかも、通りいっぺんではなく、ひとりひとりに心を寄せていらっしゃるのです。 人として、真摯に見習いたい姿勢です。
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