1930年代です。ラジオの低価格化と品質の向上が一気に進み、1931年(昭和6年)に起きた満州事変で戦況や国内状況の情報が必要となったことから受信者数が急増しました。政府も国防強化の面からラジオ放送を聴取することを奨励したので、一層ラジオが普及しました。 だからこそ軍部はラジオで「大本営発表」の大宣伝ができたし、「玉音放送」も行われたのです。 祖父の家にも当時から残るラジオが今もあります。田舎のただの職人、担任が頭を下げてまで頼んだから長男だけは旧制中学校に進学させた程度のごく普通の家。そしてその田舎の町でさえ、ラジオのない家なんてなかった、といいます。 くわしくはこちらで。 http://www.japanradiomuseum.jp/intro.html
100円ショップで最初見た時は驚いたな。 でも儲けが少ないからか 消えてしまったけどね。
ラジオがぜいたく品といわれたのはもっと前です。 私が小学生の時に大変貧乏名家庭でしたが、真空管ラジオは大半の家庭ではありました。 私の兄が中学生の時に組み立てて聴いていました。 田舎ですから大都会ではもっともっと以前にありましたね、その当時はぜいたく品と言われたでしょう。 真空管ラジオは組み立てキットが普通にあり、田舎の「ラジオ屋」さんが組み立てて販売していました。 但し「トランジスタラジオ」のことでしたら話は別です。 私は1949年生まれです、私が15歳の時にはトランジスターラジオは庶民が楽に買えました。 私もせっせと小遣いをためて最初に買ったラジオがたしかヤング7でしたね・・・この時1964年です。
真空管ラジオがトランジスタ化したことで、乾電池で聞ける「ポケット型」が出た頃からです。東京五輪〈'64〉直後から急速に拡大しました。 また、'70頃からFM放送が始まって、ラジオの高級化も始まりました。 火付け役は、ソニー「IC11」 対 ナショナル「ワールドボーイ」でした。
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