わたしは馬鹿にはしません。 ただ、英語を除く諸外国語専攻は進まれた動機を理解できます。英語であれば、英米文学、また音声学など特殊な分野だとわかります。 英語専攻だけだと、何をまなびたいのだろうかと、不思議に感じます。 大学では、思考の骨組みを育成するわけで、英語を専攻することで、どのような思考構造を習得できるのか、わたしにはわからないからです。英語を使って○○を学ぶ機会は多く、とくに英語専攻でなくても、英語は(自主的であっても)やります。 こういった疑問は、経済・経営にも感じます。現代経済学は数学であるのに、文系学科として志望しますよね。不思議です。
逆に専門バカと言ったりしますね。
馬鹿にするのは行き過ぎだと思いますが、確かに英語・中国語・韓国語などは専攻じゃなくても堪能な人が大勢いるので、それをわざわざ専攻にするのが不利なことは否めません。学習者が少ないカンボジア語やペルシア語などを本当に強い目的があって専攻するなら話は別です。
大学の専攻を馬鹿にするとはどういう気持ちですか?本人が決めたことに対し、どうこう言う筋合いはないので、語学であろうが馬鹿にされる必要は全くありません。それは、その人の人生の一部を否定することに値します。英語、中国語、韓国語を選ぶのは人それぞれの思惑があるため、私は別に気にしません。まさに「人の勝手」だと思います。 補足:社会に出てからが勝負でしょうね。
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