まず、神はいる。ということが大前提になります。 長くなるので簡単にお祈りの言葉ですね。 「主よ私を憐れんでください」 とか。わたしは正教会のひとですから正教風に訳すと「主憐れめよ」になりますね。この長文もだいぶ正教会寄りな解説になってますのでよろしくです。たまたま知恵袋はじめて日が浅いので頑張っています。 それからウィキペディアはあんまり真に受けないでください。 神はすべてのものの創り主です。 人間も神によってつくられました。 神はこの世を本来よいものとしてつくられました。なので人間は本質においてはよいものです。 しかし人間とは神の似姿に象ってつくられているので、よいものでありながら、悪を選択することが可能な自由意思が与えられました。本来ならば自由な意思は善を選ぶために与えられたものでしたが、最初の人間はこれを誤用し悪魔の誘惑に従い神に反するという罪を犯しました。その結果、神の予言通り、人間は死ぬものとなりました。このときまで、死というものはありませんでした。人間にとって死は不自然な状態です。そして同時にあらゆる矛盾、不幸、苦労、病、あらゆる悪がこの世に入ってきました。 人間にとって最大の敵は「死」であります。 途中省略して、神はこの罪から逃れることのできない呪われた状態から人類を救うために救い主をこの世に遣わしました。それが人となった神、イエスと呼ばれるキリストです。 人が神となったのではなく神が処女マリアから聖霊によって身をとり、完全な人間となってこの世に来られました。 この方は、神の子であり、聖霊と等しく、父と一体の神です。三位一体などといいますが、父と子と聖霊は三つで一つの神であります。子は父から生まれます。子は生まれなかったことはなく常に父から生まれます。天地創造の前から父より生まれ万物は子によって作られました。この神の子がイエスという名のキリストとしてマリアさんから肉体をとって完全に人間となりました。もし、キリストが霊魂においてのみ人間となったのであれば人間は肉体において救われないことになります。しかし、霊的存在としてのみ人となったのではなく、肉体的存在としても人間となったことで、私たちは完全に救われることができるのです。また、当時の神の民、ユダヤ人達は予言されていたキリストを待ち望んでおりましたが、それは政治権力的な意味でローマ帝国の支配を打ち破ってくれる王としてしか理解していませんでした。人となった神、キリストはだいたい30歳くらいから教えを宣べ伝え始め、たくさんの弟子を呼び集めました。この弟子が使徒と呼ばれる者たちです。 そうして、キリストは教えを宣べ伝え、多くの奇跡を起こしました。 キリストは高慢なユダヤ人指導者たちから嫉妬され、この指導者達に扇動されたユダヤ人たちは期待し王でなかったので十字架にかけろとローマ帝国の総督ピラトに訴えました。暴動になるのを恐れたピラトはキリストを十字架にかけて処刑するように命じました。こうしてキリストは十字架という当時かなり残酷な殺し方で苦しんで殺されました。これは肉体においても精神においても苦しんだのであり、神であるから苦しそうに見えただけで全然平気というわけではありません。 そうして金曜日に死んで墓に葬られ3日目つまり土曜日が2日目で日曜日が3日目なのですが、日曜日に復活しました。最初、弟子の女達は墓に死体に香料を塗るために日曜日の朝やってきたのですが、見ると墓は空でした。 しかし、すぐ後にキリストは復活した肉体を伴って復活した姿を弟子たちの前に現し、復活後40日間のあいだにしばしば弟子たちの前に姿を現し、教えを説きました。キリストは死がそれで終わりなのではなく、復活と永遠の生命に預かることができることを自ら証明して見せたといえるでしょう。つまり、キリストは完全な人であるからこそ、人は死んだらそれで終わりなのではなく、復活の生命に預かることができるという希望を弟子たちに教えたと言えます。 そうしてキリストは天に昇り栄光のうちに父の右に座したと伝えられています。 こののちからは使徒の働きによってキリスト教が世界に広まります。しかし、その前に弟子たちはキリスト復活後の50日目のペンテコステとか五旬節とかいいますが、ペンテコステの日に聖霊を受けます。 キリスト教に入信する儀式のことを洗礼といいますが、水による洗礼だけでなく、聖霊を受けることが必要なのです。現在ではこの聖霊を受ける儀式を特別に聖にされた油をからだにつけることでおこなわれています。 それで、聖霊を受けて使徒たちは力強く伝教するようになりました。使徒たちはキリストから学んだことを変えることなくそのまま人々に伝え、信じた人々はクリスチャンと呼ばれるようになりましたが、どういうわけか危険な新興宗教とみなされローマ帝国ではキリスト教は禁止され4世紀のミラノ勅令までつづく迫害の歴史がはじまります。 迫害下でもクリスチャン達は各地に教会を建立し主イエス・キリストの教えを守りました。もっとも大切な教えは愛です。 いつごろから十字架を描くようになったのかは不明ですが、正教会では右手の人差し指中指親指でつまむ形にして額→胸→右肩→左肩、ローマ・カトリックでは右手の指の形は決まってなくて額→胸→左肩→右肩の順番で十字を描くようになりました。 教会では主の教えに従って罪の告白と赦し、パンを裂く儀式が使徒たちとその後継者たちによって今日まで続けられています。 このパンを裂く儀式がキリスト教において最も重要な儀式です。信者は聖にされたパンとぶどう酒を飲食することで永遠の生命に預かることができると信じて大切に飲食します。 使徒の後継者というのは司教(主教)のことで、いわゆる教会の偉い人です。しかし、信者が増えて教会の規模が大きくなったら手が足りないので助祭(輔祭)という聖職者を作りました。聖書には執事みたいに書かれています。そのあと、司教の代わりに罪の赦しやパンを裂く儀式を執行するために司祭が立てられます。司祭のことを神父さんと呼びます。つまり司祭の仕事は司教の監督のもと各種儀礼の執行と牧会、宣教などの仕事を担当するわけです。 シスターとは修道女のことですが、修道士や修道女の仕事は基本的にお祈りに専念することです。 修道というのは迫害が終わって、いわばクリスチャンであること自体が試練であった時代が終わり、信仰がぬるくなってしまったと感じた人々が砂漠などに出て、一人または集団で、祈りと労働のサイクルを毎日繰り返す生活の形ができてきて、現在まで続いております。修道誓願をたてるというのは修道するということですが、結婚という選択をあえてせず、独身で自分の全てを神に捧げるという、素晴らしい生活に入ることを意味します。 べつに結婚が修道に劣るというわけではないのですが、天国への一番の近道は修道することとも聞いています。 それで、最後になりますが、信者、クリスチャンになるということは洗礼を受ける必要があります。洗礼によってそれまでに犯した罪は全て赦されます。そして、洗礼後に犯した罪は赦しの秘跡=サクラメントあるいはミステリオン(機密)とよばれる奧密な秘技とでもいえばよいのでしょうか、人間の理解を超えた神の恩寵の現れとでもいえばいいのでしょうか、謎なのです。神と人との共同作業によって目に見えずして恩寵に浴します。 そして、人は死にます。しかし死はそれで終わりなのではなくて復活します。キリストは死に打ち勝ちました。私たちも同じように復活してキリストの栄光に預かるものとして生きることが可能です。 このような死後の未来の永遠の世界を待ち望むのがクリスチャンの信仰であります。 とりあえず、いまはこんな感じかな。 長くなりましたが読んでいただきありがとうございました。読み返してみると補った方が良さそうな箇所もあるけど、追い追い学んでいってくれたらいいのかなぁと思います。では。
カトリック信徒のものです。 http://www.pauline.or.jp/ がいいかな。 サイト内に、いろいろな祈りのことや十字の切り方、シスターの日常なども書かれています。
カトリックでなくてエホバの証人ですけど、祈りについて書かれていますのでよかったら読んでみて下さい。 「祈り―どんなことを?」 https://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E9%9B%91%E8%AA%8C/wp20101001/%E7%A5%88%E3%82%8A-%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%AD%97%E3%81%AE%E6%8F%8F%E3%81%8D%E6%96%B9 http://www.hyuki.com/writing/inori.html http://hosanna.romaaeterna.jp/prayer/oratio/matome.html
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